コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

糞食らえバーカ

いろんな鬱憤が溜まってる朝だな。何がこんなにも納得いかなくて、どうしたら納得いくのかわからない。もしかすると、ただ怒りたいだけの気持ちが強いのかもしれない。そして「ごめんなさい」と心の底から懇願するような叫びが聞きたいだけなのかもしれない気がする。

 

25歳にもなって、人付き合いで上手く立ち回れないことが多い。こんなにも人に言いたい放題言葉を述べるのは久しぶりだな。今までだったら気持ちが萎縮して、あちらに非があっても謝り続けてどうにか気持ちを沈めることだけに意識を集中させていた。

 

でも、今はそうじゃない。間違ってること、納得のいかないこと、それらをきちんと述べられるものが目の前にある。互いの行き違った気持ちを擦りよせながら歩いていく努力をしていけるでしょう。

 

ただどこかで、なぜワタシだけこんなに大人の素振りをしなくてはならないのだろう?とも考えることがある。お互いが気持ちよくいるために相手を立てながら言葉を交わしても、上手く届かないことがある。その一瞬だけでこちらの小さい器が音を荒げて壊れていく気がする。どうして仲良くなろうと努力をした言葉に対して、打ち砕くような台詞で突き返してくるのだろうと疑問が頭をめぐる。

 

相手に対する言葉の配慮というものは、感情的になるとすっかり忘れてしまう。そこでヒートアップして、誰かが傷ついたり、傷つけられたり、許したり許されたりを繰り返す。ワタシはどれほど相手を許せる度量を用意しているだろうか?定かじゃないな。まだまだ子どもだよ。

 

だから一生懸命に紡ぎ出した言葉の羅列を無下にしないで欲しい。しかし、これ以上何かを述べても、いまは届かないことを知っている。いつまでたっても心の憤りに対して、文章を書くという手段でしか消化できない25歳も考えものだな。

 

あの時の怒鳴り声も、体良く用意された過去の出来事も、いまのワタシは許せないでいる。無理に許して優しい顔をするなら、許せる距離まで離れることも正しい選択だ。思った以上に自分がしょうもないことで根に持つタイプなんだって、笑っちゃうね。

 

人の欠点は時間をかけても治らないところは多くある。それはワタシに然り、誰かに盛り。それを許す手段として、好きになれる距離まで離れることも答えの一つでしょう。

 

もうこれ以上、しょうもないことが発端で起こった無駄な時間に気持ちを費やす必要はないよ。ワタシはそこまで馬鹿じゃないし、他にやることはたくさんある。

 

声を荒げることも、心が擦れることも、不満を抱くことも、不安になることも、ぜんぶ大っ嫌いだよ。糞食らえバーカ