コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

2016年

出会いと別れの季節だった。

きっとそれは毎年変わらなくて、去年の今頃も同じことを思っていたことだろうと思う。いつだって、出会いがあれば別れがある季節だ。

 

2016年

愛する人と共に新しい年を迎えた。年越しはゲームに奮闘しながら、気づけば新しい年を迎えていたような。初詣は近所の神社へとお参りに行って、二人でお酒を買って新しい年を迎えたことを祝った。

当時セブンイレブンのアルバイトスタッフとして奮闘していたわたしは、職場の中国人店長と折り合いが合わず、仕事をドロップアウトしてしまった。彼はそんな私を攻めることなく励ましてくれて「また新しい仕事を探そう」と優しく背中を押してくれた。

悲しみ打ちひしがれながらも新たに古着やスタッフとして仕事を始め。無事に面接を終えた当日に、夜勤終わりの彼と近所を散歩して、街のこじんまりとした古本屋さんの匂いがとても心地よかったことを今でも覚えている。

新たに始めた古着屋スタッフはとても楽しかった。素敵な出会いもたくさんあって。改めて「服を愛する」あの頃の熱が蘇ったような気持ちだった。

行きたくないと駄駄をこねた日も、「一緒にお昼ご飯を食べに行こう」と背中を押してくれた彼の一言を今でも忘れることはない。いつでも側にいて、弱い私を細やかに支えていてくれた。

付き合って半年を迎えた頃には、二人で近所のケーキ屋さんに立ち寄っていちごのタルトを買って、細々とお祝いをしたり。二人で居る時間はとても心地がよくて、いつでも幸せを提供してもらえる穏やかな時間がゆっくりと流れていた。

 

五月に差し掛かったある日、なにがどうしてそうなってしまったのか。自分の心の弱さと押しつぶされそうな感情の中でリストカットをしてしまった。互いの関係の中で余裕の無さが淀みなく溢れ、雨の降る真夜中に腕を血まみれにして大泣きをした。

朝起きると自分の私物が全て綺麗にまとめられていて、終わりを告げる音がした瞬間だった。「どうしてそんなことをしてしまったのか」その時わたしがどんな言葉で自分の気持ちを伝えたのか今では記憶は曖昧で。それでもゆっくりと二人で話しをして一旦は互いの気持ちの和解を得て。彼の作った美味しいカレーを食べたのを覚えている。

それからというもの私たちの関係はどこかで「溝」を感じることが増えて五月が終わりに差し掛かる頃、二人の関係は「恋人」という形ではなくなっていた。

悲しくて、苦しくて、それでもずっと彼を愛する気持ちは拭われずに、ずっと好きな人のまま淡々と時間が流れるばかりで。

その別れによって初めて私が気づいたことは、自らが自分の体を傷つけるという行為は決して己自身の問題だけでは済まされる行為ではなく。周りの人間をどれほど傷つけてきたのだろうか?と改めて受け止めることが出来るきっかけになった。

彼と別れてから、途方にくれた私は仕事を休み毎晩ふらふらと所在無げに生きていた。最後の夜に彼と交わした言葉も、抱きしめてもらえた温かみも。次の日、彼の家を一人で黙々と涙を流しながら片付けた夜も。何もかも鮮明に覚えている。

「きっとしおりさんは、明日泣いてしまうんだろうな」と優しく告げた彼のセリフを思うだけで今も涙がこみ上げてきそうで。

友人の電話越しに大泣きをして、実家に帰る車の中で宇多田ヒカルのfirst loveを聞いたあの時間を忘れない。私はこれから前に進むしかないと心強く抱負を胸に抱きしめて、東京の夜の街を車で走り続ける車内は、あまりにも切なくて、この世の中で一番の悲しみを抱きしめているような思いばかりだった。

実家に帰ってからというもの、どんどんと季節は夏に移り変わり。職場復帰をして暫くの間は古着屋スタッフとして仕事を務めた。

新しい恋にも出会いにも。どこかで彼を忘れられない気持ちを拭いさるために、必死に新しい恋へと現を抜かすばかりだった。

ある人は「彼のことを忘れられたら告白しようと思う」といったその人のセリフはあまりにもずるくて、心のどこかで「ふざけんなよ!」と悪態をつくばかりだった。今すぐに上書き保存してくれよと言わんばかりに。それでも結局その恋が実ることはなかったね。あの人からもらったライ麦畑はいまも大切に私の本棚にしまってある。

なぜかモテ期という名の、別れたばかりの傷心した心に漬け込まれて、数人の男性に言い寄られる機会が増えたけど、どれも一つも実ることはなく。いつの間にか消えてなくなっていた。

 

しばらくして、仕事をやめた。精神状態のもつれと共に、これ以上鎌倉から東京の職場へ通勤し続けることが困難な状況だった。「頑張る」という糧がもうどこにもなくて、布団から出ることさえ億劫になり、ひたすら寝るばかりの生活が続いた。本当に何もかも失ってしまったと途方にくれてしまい、頼る人もいないまま孤独を武器に悲しみを振りかざす日々が始まった。

ある時、地元の友達と連絡をとり、お互いの溝を埋めるように彼との一緒にいる時間が少しずつ増えていった。精神疾患を患い休職中の彼と、なんとなく目的もないまま曖昧な関係が続いて行った。東京で一人暮らしをする彼の家にたびたび泊まりに行っては美味しいご飯を作ってもらって。互いの傷を舐め合うように身体を寄せ合った。そこに「好き」という感情がなくともだらしない二人の関係が心地よくて幸せという虚像にひたすら身を浸していたのかもしれない。

 

もう夏はすぐそこまで来ていた。

7年ぶりに再会した高校の友達と昔話に花を咲かせて。一児の母親として奮闘する彼女は昔にくれべて驚くほど優しい笑顔を作る人になっていた。あの頃は互いにずっと子供で、当時の彼女が差し伸べてくれた手を握り返すことができずにいつの間にか7年という時の流れを経てしまった。

「なにも変わらないね」と笑う彼女との時間は17歳のあの頃のまま。

 

夏真っ盛りと言ったところ、友人がたくさん実家に泊まりに来た。あの子と江ノ島に初めて行って、写ルンですを片手に二人で鎌倉をかけずり回った。スラムダンクのOPで有名な踏切へ出かけて二人で感動したり。夜は公園で花火をしたり、ブランコから落ちたり。去年約束していたあの場所へは今年も行くことはできなかったけど、いい思い出をたくさんありがとう。彼女はより一層、去年よりも美しさを増して、名残惜しさを残しながら大阪へ帰って行った。

東京から来たあの子は面白いフィルムカメラを片手に実家へ遊びに来た。鎌倉の海を堪能して、二人で海で酒を飲んだ。ナンパされたり、ナンパされた男二人に連れられて近くのレストランに入りたらふくご飯を食べて。くどかれ続ける彼女。ポテトフライでポッキーゲームをする暑い夏。彼らの熱心な思いを振りほどいて自宅に帰りさまざなな話しに花を咲かせて。セクシーなTバックは印象的だった。

7年ぶりの友達も子供を連れて実家に泊まりに来てくれた。子供はいろいろなトラウマを抱え、寂しさを請け負いながらも健気に今を生きている姿はあまりにも尊かった。一緒に花火をしたり、夜にシャボン玉をしたり。ポケモンGOをして三人で盛り上がったりと。その時初めてキャバクラの話が出て「良かったら一緒に働かない?」と彼女から誘いを受けて二つ返事で引き受けた。

 

 

 

夏が終わりに差し掛かった頃、彼から連絡が来た。別れてから二ヶ月にさしかかろうとしても、いつまでも彼のことを忘れられずに荷物のやりとりが終えることはなく。事務連絡のような形で、私たちは再び連絡を取り始める。

気持ちを鎮めようとしても、やはり好きだった頃の感情が蘇る。ダメだと分かっていても気持ちは止めることができずに目的もなく淡々と毎日メッセージのやりとりが続く日々をが増えた。「おやすみ」を言ってしまったら次の日への続きを失ってしまいそうで、前日のやりとりを引き続き次の日に繰り越せるような形でやりとりを続ける毎日。

ある日彼の一言でずっとしまいこんでいた気持ちが一気に紐解かれた。私の抱えて来た気持ちを、もう戻れないとしても、伝えなければいけないという気持ちが一心不乱に言葉を突き動かして。

「今でもあなたのことを忘れらなくて、もう一度やり直したいと思う」

と自分の胸の内を打ち明けた。彼は静かにその言葉を聞きながら「デートをしよう」とチャンスを与えてくれて。もう一度始まるかもしれない、動きだすかもしれない時間の流れに胸を高鳴らせながら思わず涙を流してしまって。

ずっとずっとわずかな時間の中でも忘れることができずにいた彼のこと。ずっと愛していた。好きだった。不甲斐ない点ばかりの私に、忘れかけていた「人に愛されること」への喜びや人の愛し方を教えてくれたあの人に近づける。