時の流れ
「あ、恋人に振られて一緒に泣いた人だ」
見ず知らず彼は、あの時電話越しで一緒に泣いた人だった。
私が彼と別れた直後の話。
好きな人に振られた悲しみで空虚な気持ちを抱えながら、人知れず真夜中にインターネットの掲示板に書き込みをして誰かの反応が帰ってくるのを待っていた。しばらくして、携帯のバイブレーションが反応する。液晶を指で撫でると、掲示板の書き込みに対するリアクションが通知されていた。
なにがきっかけでそんな話に発展したのかは分からない。ただ、淡々と二人で別れた恋人の話をしていたように思う。
彼も同じように愛する恋人といろんな理由をきっかけに別れることになってしまった。自分と同じように、別れてもなお恋人のことを忘れることができず、互いに上書き保存をできるほど心は器用じゃなくて。いつまで経っても戻ることのない時間に想いを寄せては打ち拉がれることしか出来なかった。
どうして互いに別れることになってしまったのか、恋人のことをどれだけ愛していたか、一緒に過ごした時間はどれほど幸せだっただろうか。其れ等の話を夜が明けるまで二人で話し続けた。
気がつけば完全に朝を迎えていて、あまりにも残酷で希望のない日差しだった。いつの間にか話しをしているうちに二人して感受性が高ぶり、涙を流して居た。もう二度と戻ることのない時間に、いつまでも私たちは首を絞められていた。それが良いか悪いかは誰にも分からないし自分自身でも判断がつかない。ただ悲しみだけがしつこいシミみたいに、なかなか落ちることはなかった。
恋人と別れた悲しみを、本当の意味で誰にも打ち明けることができなかった。
「彼と別れたんだ。大丈夫だよ。素敵なお別れだったからこれから前進できると思う」
無理やりにでも気持ちに落とし所をつけて前を見つめようとしていた。それはつまらないプライドを振りかざしているだけだったのかもしれない。大泣きしながら友人に電話した時でさえ、『大丈夫』という自己暗示で正気を保っていたあの頃。
何もかも失って始めて一人になった時、どれほど彼を愛し、別れを後悔し、悲しみに身を八つ裂きにされたことだろうか。言葉にして発信してしまった途端、無理にでも押し殺していたのにとめどなく溢れて抱えることが出来ず泣き崩れてしまうのが怖かった。
見ず知らずの彼に素直な気持ちを打ち明けることによって、自分の弱さを少しでも認めることができた良い機会だったのかもしれない。
自分の気持ちに嘘をつき、手探りで代わりになるものを掻き集めて、脆いハリボテで構築された感情に身を包んでこれ以上傷つくことのないよう、必死に守っていたのかもしれない。そんなものは簡単に壊れてしまうのに。残ったのは空虚な気持ちだけ。
それ以来彼とコンタクトを取ることはなかった。
「また話しましょう」と曖昧な挨拶を最後に、私たちは二度と会話を交わすことはなく時間は淡々と流れていって。
もう二度と戻ることがないと思って居た時間。失ってしまった人。
気がつくと、私は失た時間を再び取り戻すように、愛してやまなかった恋人と再び添い遂げることができた。もう二度と戻らないと思っていた止まってしまった時間が再びゆっくりと動き始めているんだ。それは真実でしかない。
彼とよりを戻してからしばらくして、ひょうんなことから再び彼と話す機会が巡ってきた。久しぶりに連絡を取る彼はあの頃となにも変わらない物腰で、丁寧にひとつひとつの言葉を紡いでい。
「最近どう?」
久しく交わす会話はやっぱり互いの近況についてだ。
「元気のてっぺんが低いから、元気でも元気じゃなかったよ」
送信されたそのテキストの一文はあまりにも物憂げなのに、その向こう側で入力している人の姿はとても物憂げに映った。
彼の中にはあの頃と変わらず彼女の存在が鮮明に生きていて、いまだに何度か連絡をとっているというような話をした。ストレスで体を壊してしまったり、ネット経由で女の子と出会ってみたけどあまり乗り気になれなかったり。彼女という芽はいまだ彼の心の中に根を這っているようで。
「ブログ見たよ。復縁したんでしょう」
数ヶ月前、互いに同じ場所に立ち泣き崩れて居た二人は時間の経過につれていつの間にか遠い場所へとかけ離れてしまったようで。
私は今の幸福を噛み締めながら生きている一方で、彼は変わらずに空虚な気持ちを抱きながら彼女のことを忘れられずに日々を生きてる。其れ等は決して比べるべきものではないけれど、同じ場所に立っていたあの頃に比べてお互いの環境は大きく様変わりた。
それでも一緒に泣いてくれた彼は「あれほど好きだった恋人と再びよりを戻すことが出来てほんとうによかった」と祝福の言葉を送ってくれた。
その時間があまりにも優し過ぎて、私が今持っているすべてのものをより一層大切にしようと心に誓うばかりで。ろくに感謝の旨も伝えることができず。
彼と話すことによって失ってしまった関係が再び元に戻ったということは、お互いが本当に愛し合って居なければ取り戻すことのできない時間だったのかもしれないと、素直に明るい未来を信じてみたくなったんだ。
あの頃と同じように、朝日が昇るまで彼と話をし続けて、「またね」と言ってわたしたちは電話を切った。再び彼と話す日がまた訪れるのだろうか。
未来はあまりにも不確定で過ぎる。もう二度と話すことができないかもしれないし、もしかすると再び話す機会があったその時、また同じようにお互いの環境は劇的に変化を遂げているかもしれない。
明日のことは誰にも分からない。だからこそ、わたしは今という時間を愛していたい。