コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

ワタシ

自分が哀しいのか、悲しくないのか、きっとどちらにしてもれっきとした事実なので真相を突き止める必要はないです。

 

仕事を休んで、分厚い小説を一冊読み終わってしまいました。いつだって三月という季節は物語に愛されている季節ですね。生きています。唐突二話が切り替わってしまうのは、本来ならば正しくない文章構成ですが、エッセイや小説や詩の正解ではイレギュラーが許されてしまうので、今は許してください。

 

こんなにも、どうしようもない体と心を引きずって生きていようとも、しっかりとお腹は空くし眠くなるのは不思議です。心が疲弊して病院にいっても「うちで診察できません」と突き返される日々を繰り返しています。今年で25歳になるのに、まだ大人になれません。怒りも悲しみも、ワタシにはうまくコントロールができないのです。きっと、どうにかなるという甘えが心の底に潜んでいるのでしょう。天気はとてもよいあまりに少しだけ、汗ばみます。まだ夏の名残が残っているようですね。

 

今日はとうとう、心が疲弊している時に見る夢を見ました。学生時代の夢です。とはいってもワタシの学生時代はとても短く、ほんの数年しか経験していません。いまこうして社会人となり、幼い頃のしがらみから解放された今でも、心の奥底にはあの頃の不安や闇に近い何かがこびり付いているようです。不安になるといつも同じ夢を見ます。中学生から高校生にかけて繋がっていた人々が鮮明に、夢の中へと忍び込んでくるのです。彼らの中でワタシという人間は、新しい時間の更新によってかき消されているはずなのに、それでもまだかき消すことのできない過去が付き纏っています。

いつでも過去に怯えて、本当に立ち直れないほど、疲れている時に限って、これみよがしに古い記憶が首を絞めます。きっとあの頃に比べて成長したし、きっと幸福なはずなのに、どうして未だにワタシを捉えて離さないのでしょうか。

 

生きていると哀しいことは、数え切れないほどあります。楽しい記憶さえもかき消してしまうほどの、哀しい思い出がたくさんあります。それでも、前を向いて歩いていくことは自分の人生にとって義務なんです。

 

あのね、大人になると、とても自由になります。子供の頃のように、大人に敷き詰められたレールの上を歩くのではなく、己の取捨選択の中で、よりよく生きる為の不自由を作り出していくのです。でも、ワタシには未だに、その不自由を作り出すことができません。自由いう残酷な現実の元に晒されて、途方にくれながら、正しい選択から逃げて生きています。歳を重ねるごとに、幼い頃に敷かれた大人のレールが愛おしく感じるのです。

 

そもそも、ワタシは正しい大人のレールを敷かれていたのでしょうか。どこから間違ってしまったのでしょうか。いいえ、いま此処に立っている事実は答えであり、正解不正解は存在しません。でも我が儘が嵩じてか、自分の立っている場所がとても疎ましく思います。「しおりちゃんは将来どうなりたいの?」と聞かれたことがありました。しばらく頭で考えてみても、10年後の自分を想像することができません。

ワタシは無責任で、弱くて、だらしなくて、ダサいので、こんな感情を引きずったまま将来のビジョンを組み立てることができません。きっとそれでも、人より多くの物事を考えて、使いもしない未来を掲げながら、報われないプライドを育んでいくことでしょう。ワタシはとても真面目で、不誠実な女なので、しばらく幸せにはなれそうにありませんね。あはは