誰かの眼に映る景色の一部(わたし)
違うそうじゃない、って思うことは日々の中ではたびたびあるけど、それでもその言葉をぐっとこらえて生きてる。もしかすると一旦それらをの飲み込んでから、忘れた頃に引っ張り出してくると納得してしっくりきたりするもんだ。
最近はずっと苦しくて、どこかでだんだんと逃げるように、おかしな量のご飯を食べ続ける生活が立て続けに続いた。もちろん幸福なこともあるけど、やっぱり平日にさしかかって仕事が始まると憂鬱な気持ちが心を軋ませていた。
そういえばこの間、吉祥寺の井之頭公園へと遊びに行った時の話なんですが。
公園内で小さなアート展が開催されていて、各々が路上に小さなブースを構えながら作品の物販を行っていたんです。その中で一際目を惹かれるものがふたつ。
ひとつは木で出来た機関車が、木のレールの上を走る玩具を作って居るお爺さんに出会いました。私と母は二人して興味津々で眺めて居ると、お爺さんはゆっくりとこちらを眺めて
「これに興味を惹かれる貴女たちは、まだ少女の心を持って居る証拠だ」
と言って微笑みかけてくれました。
年の功って素敵だな。私の中でのステレオタイプかもしれないけれど、なんとなくお爺さんから吐き出されたその言葉は飾り気がなくて、瑞々しい響に聞こえました。若者のそれらはどこか気取っていて、まだ数を小さい彼らのその言葉には重みを感じられないよう勝手な解釈をして。
その場で、その情景の中、知りもしない親子に対して、自分の作品に興味を示してくれた恩恵と共に、己の作品に対する誇りを感じる素敵な言葉のプレゼントでした。
次に私たちが出会ったのは様々な形をした花瓶を売るお爺さん。その方は横浜のほうから遥々、東京の吉祥寺へ不思議な花瓶を売りにきているのだそうです。花瓶の形はひとつひとつ、それぞれ不思議な歪み方をしていて、個性豊かな子たちばかり。古い捨てられるはずの空き瓶をリサイクルして、熱して歪めて作った作品だそうです。どれも300円という破格あったので、一目惚れしたワインの空き瓶のリサイクル花瓶を購入。
同じように興味を惹かれて眺めていたおばさんが、「孫のプレゼントに欲しい」と花瓶を吟味していました。彼女のお孫さんはバイオリンを習っているそうで、その発表会のお祝いの品としてお花をあげるそう。そのお花のお供に素敵な花瓶も一緒にプレゼントしようという魂胆だそうで、粋なおばあちゃんだった。
街を出てれば、そこにはいろんな景色や出会いがあって、いつだって刺激的だ。
急な上り坂を自転車で必死に漕ぎ続けるサラリーマンのおじさんや、カレーパンを頬張りながら歩く女性(わたし)
きっとそういう誰かの日常や時間を眺めて居るそばで、私も何気ない情景の中に溶け込んで生きているのだと考えたらとても不思議な気持ちになった。私だって、誰かの眼に映る世界の、景色の一部分なのだと。
今日はとても穏やかな日曜日。雨はしんしんと降って居るけれど、心は穏やか。話したいことはたくさんあるけど、今日はこのへんで。