コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

家族の風景

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母がはるばる鎌倉から遊びにきてくれて、二年前から約束をしていた吉祥寺デートへ。急遽泊まりにこないか?と誘いを提案してみる、身軽なそぶりで正装をして東京へとやってきた。電車に乗りなれない彼女は何度も乗り換えで不安を訴えながら、なんとか私のクラス土地へ。

 

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1日目は立川でお酒を飲んだ。彼女はお酒がとても好きな人だ。たばこをやめてからというもの、よくお酒を飲むようになった。ひたすらビールを飲み続け、お互いの近況や家族の話などに花を咲かせる。ふと、若くして亡くなった私の叔父にあたる彼女の兄の話を始めた。目には涙を浮かべて「

どうしてもっと感謝の気持ちを伝えてあげられなかったのか、助けてあげることができなかったのか」

と悔やみながら涙を浮かべていた。

彼女の兄は若くして病気でこの世を去った。彼が亡くなる前、わたしたち家族は叔父にとてもお世話になり。いつも助けてもらっているばかりだったはずなのに。些細なことをきっかけに家族ぐるみで叔父との関係に亀裂が入り、関係を修復できないまま叔父はこの世を去ってしまった。母はそのことをいまでも悔やみ続けている。

母の涙はいつも真っ直ぐに感情をぶつけてくる。何かを惜しむ気持ちですすり泣くわけでも、子供のように泣きわめくわけでもない。ただ自分の感情をしっかりと心に留めながら真っ直ぐに泣くのだ。

今まで、幾度も彼女の涙を見続けてきた。久しく会った酒の席で母は、真っ直ぐに涙を流したことが印象的だった。

 

 

 

お酒も入っていることもあり、様々な話が行き交った。

「最近どうなの?「彼とはうまくいってるの?」「結婚はいつするの?」など。私もそんな言葉を投げかけられる歳になってしまったようだ。

 

ただ、彼女の話を聞くたびに感じることは、私はこの人にきちんと愛されていたのだと実感をした。母の話を聞くたびに、その不器用な家族の優しさに触れることができる。幼い頃からわたしは、ちゃんと愛情を持って育てられていたはずだった。

それでも家族の中に溝ができ、心を疲弊せてしまうような様々な出来事はどうして生じてしまったのだろうかと考えてみる。

それはきっと彼女たちの愛情と、私が受け取るべき間柄に何かしらの相容れないものが存在していたのだと思う。母も父も私をきちんと愛していた。そして、私はそれをうまく受け取れるほどの度量を持ち合わせていなくて。

結果的に悲しい思いをたくさんしてしまうこともあったけど、いまこうして母と笑いながらお酒を酌み交わしていることがとても幸福に思う。私たちは長い年月をかけて少しずつ違いに歩み寄り、分かりあえずとも。きちんと違いの存在を認めあっている。

 

悲しいことも、苦しいこともたくさんあった。それでもいま、一緒に美味しいものや、美しい景色を眺めて感動している。こうしてお互いに生きている時間が、ゆっくりと確実に流れているのは、悲しい時代が痛みを請け負ってくれたおかげで、いまこうして笑うことができているのだ。

 

母は私の自宅に着くと、「電車の音が聞こえてきて好き」と喜んでいた。本来であれば煩わしく思う電車の音でさえも、彼女は楽しみ、少女のように微笑んで「嬉しい」と行った。彼女はなぜか電車が好きだ。特別マニアックなところまで愛しているわけではないけど、電車に揺られ電車の音を感じることをとても好んでいる。

この部屋は駅が近いので電車の音が聴こえてくる。彼女はそれを耳にして喜んでいた。そして、喜ぶ彼女をみて、わたしもまた穏やかな気持ちのおすそ分けをしてもらったように感じて。