コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

映像作品 彼

なりとみさんが新しく何かを始めるそうで、YouTubeにショートドラマをアップするそうだ。最近ではそのことで目まぐるしく動き、役者を集めをしたり、脚本と睨めっこしては場所を探しては快活に生きている。彼は動き出そうとしている。

私はそれを淡々と横目で眺めているだけで。本当は頭の中で様々なことを想像しながら、「こうしてみたら?」という小さな提案を押し殺して、彼の話を受動的に飲み込んでいる。
何か少しでも手助けになれたらと考えるけれど、どこまでも無知で無力でしかない。

彼の持っているものは、素晴らしいとか、すごいとか、そういう言葉で絶賛できるようなものではない。凄くもないし素晴らしくもない。(私個人での解釈や感想だけど。)
必ずしも凄いものや、素晴らしいものが、誰かの心を掴むとは限らない。世の中には多くの作品が溢れかえっていて、誰もが賛同するような素晴らしいものや凄いものはテンプレートのようにそこに存在する。目で見てわかる評価をくだせるものが必ずしも心に残るとは限らないでしょう。

彼の作品の特徴としては、一見「ノスタルジック」という言葉を持ちかけるような映像風景が多い。でも、本当にそこに隠れているものは懐かしさからくる刹那的な感情ではなく、純粋な悲しみや消え入りそうで掴むことのできないものがそこに表現されているように思う。そうであるようで少し違うようにもおもうけど『シャボン玉』のような儚さがそこにある。確かにそこに存在はしているのに、掴もうとすればすぐに弾けて消えてしまう。

その映像には温度があって息をしている。彼の映像には血が通っていて、呼吸をしているような様がある。映像そのものが生きた人間のようだからこそ、引き込まれてしまうものがある。それは必然なんだろうな。
載せる音楽の選び方一つをとってもね、時にはその音楽をそこに載せることこそが正しいことであるように思わせる一方で、映像の微妙な変化で音楽の色さえも変わってしまうから面白い。用意された正解の中で人を楽しませる不正解を持ち合わせている。



彼の作品は素晴らしくも、凄くもないし、正解でもないけど、生きている映像そのものが必然として引き付けてしまう魅力なのだろうか。
私の拙い言葉ではあまりにも抽象的表現でしかなくて、比喩表現を駆使して、「ソレっぽい」綺麗な文章しか書けない。本当は此処に中身なんてないのかも知れないのだけれども。私は彼の映像作品が好きだ。もっといろんな形で世に出て、多くの人々の目に止まってもいいと思う。

YouTubeは多くの人が目を通す場でもあり、それと同じく多くの人々が日々様々な映像を投稿している。一度何かのきっかけで人気が出てしまえば、どんな映像であれど多くの人が目に止める。
どんなに魅力のいい作品を作ったところで拡散力の低いYouTubeでは多くの作品の中に埋もれて死んでしまうこともある。
彼が始めようとしている何かを、私なりの何かの形で、言葉や何かを駆使して、もう少し若い世代の、拡散力を持つ人々に焦点を当てて紹介してみてはどうだろうかと勝手に考えたりする。10代から20代は、まさにインターネットの真っ只中に生きる人々で。彼らの目に止まれば、彼らのネットワークの中で広がり続け留まることを知らない。それを駆使して、彼が始めようとしている何かを、私なりの表現の仕方で、何か少しでも力になれたらと日々勝手に頭の中で考えては死んでいく一方で。

本当に、面白くて、評価されるべきだ思うから。