コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

彼女たちの苦しみと他者

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メンヘラという名前の閉鎖病棟があるとするならば、俗に言うメンヘラと呼ばれる少女たちはそこに閉じ込められている。一時退院や入退院を繰り返すもの居れば、いつまでも其処に身を染めてしまうものもいるだろう。

「一時退院おめでとう」

少し気持ちが向上したと思いきやに一時退院が決まったとしても、再び急降下に落とし込まれて救急入院しなくてはいけないかもしれない。未来はいつだって不確定なものだから、これからのことは誰にもわからない。些細な衝撃でメンヘラ病院に閉じ込められてしまう。一度入院してしまうと、そこから抜け出すための治療は道のりは未知数で。再びすぐに外出許可が降りるかもしれないし、しばらくの間は収容されて閉じ込められたままの日々を送らなくてはならないかもしれない。

 

最近はとても幸せに暮らしている。きっと「死にたい」という言葉の根元にあるのは苦しいじゃなくて、怠惰な生活の中で喜びもなく生き続けることに対する『生きて居たくない』という言葉から生み出されたものなのだろうと思う。今は毎日刺激がある。退屈ではないし、目標も愛する人も、守るものある。

私は幸せに生きているけど、幸せを感じれずに生きている人々もいる。

彼女たちを蔑もうとも哀れむようなこともしない。彼女たちに送る「幸せになってほしい」という言葉は果たして正しいものなのか。彼女たちにとっての幸せは、自らの身体を傷つける(癒す)ことなのか?個人の幸せの価値観は人それぞれで、誰が何をしようとも当事者でしかその真意は分かり得ない。そして、彼女たちの中にあるその悲しみや苦しみは真実でしかないのだ。

私はどれほどあの時が苦しかっただろうか。いまこの瞬間にも、大量の薬を飲み腕を切り続ける人々のことを思って感情移入することができるだろうか??私はもう、悲しいことにあの頃の苦しみを当時の鮮明な気持ちとして思い出すことは出来ない。ただとてつもなく「苦しかった」という過去の事実として保存されて居ても、そのディテールは既に少しずつ風化していっているのかもしれない。

リストカットをする人。薬を大量に飲んでしまう人。かつて私もそうであり、かつてと言えるほど遠い過去の話でもない。ただ現状の真実と向き合おうとするのならば二度と同じことを繰り返したいとは思わないんだ。

それは何故だろう?と考える。

私にはちゃんと、それを食い止めてくれるものがる。閉鎖病棟に入院した事実。自傷をすることにより後戻りのできない本当の全てを失ってしまうこと。食い止めてくれる環境がそこには存在する。それが他者から見れば些細な動機付けだったとしても、私の人生にとってはとても大きな鍵になっている。自傷自殺念慮が許されない環境の中で私は生きている。

きっと、ダメと言っても繰り返してしまう人は多くいるだろう。私もそうやって過去に何度も自殺未遂と自傷行為を繰り返してきた。でもそれは、ダメのうちにち入らなかったんだ。きっと何処かで許されてきた。親や恋人や友人や身の回りにいる人々に許されて生きてきたのかもしれない。「またやっちゃったのか。やってしまったものはしょうがないね」って、どんどんその行為が特別じゃなくなって周りの人間の中で当たり前になっていく。それに慣れてしまうことが怖い。本来、ダメなことも良いことも自らの意思で突き通してきたそれによって曖昧になってしまう。そして新しく介入してきた物が「自殺はよくない。自傷はよくない。」と提言したとしても、この人は自分のことを理解してくれない人間だと突き放してしまう。本当の正しさでさえ見失ってしまう。

私たちはもう子供じゃない。「危ないからやめなさい」と止めてくれる大人はもういない。発達した言葉と未熟な心を武器に、どうにでも言い換えられてしまう。自己判断の世界の中で、良いことも悪いことも曖昧になってしまう。

だって本当は自分を傷つけてはいけないなんてものすごく当たり前なことなのに

そうせざるおえないという言葉のまやかしに身を委ねていたのか。きっとそうするしかないことも事実ではあると思う。それはきっとかつて当事者だった時の気持ちの名残なのかもしれないけれど。

 

それでも、私がいまここまで回復できたのは自分の力だけではない。周りの多くの人々からの「ダメ」という言葉があったからだと思う。人で人を変えることは出来ないけど、人を愛する自分自身を育むことによって直接的ではないにしても、人で人は変わることができるのかもしれない。

大昔にわたしは「君は本当に思いやりのない人だね」と自らを傷つけた時に言われた。自らを傷つけることにより、他者がどれほど傷つくか考えてもどうしてもわからなかった。私は自分を傷つける側でしかなくて、他者が自分自身を傷つけてしまわれる側に立ったことがないから理解できないと思っていた。

それが恋人でも家族でも友人でも、自分を傷つけるという行為よりも、自分の苦しみよりも勝る他人に対する愛が勝ることがこれまで一度もなかったのだと思う。いつだって私が一番苦しくて、誰が傷つこうとも自分の痛みが最優先だった。誰かを思う余裕もないと言わんばかりに血を流して、周りは涙を流していた。

見て見ぬ振りをしていたわけではないけど、彼らに対する思いやりが自分の苦しみを勝ることはなかった。ただそれだけなんだと今になって思う。今こうして、現状は薬も用法用量を守り、健康的に服用して自傷することなく生きているのは自分の悲しみより他者への愛情が勝っている証拠なのかもしれない。

 

これをふまえて、話を戻すと。彼女たちが薬や刃物に手を出してしまうのは、まだ自分の苦しみを超える他者への思いやりに出会って居ないだけかもしれないと思う。それはあくまでわたしの主観なのだけれど。きっとそれだけ、彼女たちの闇は深いのかもしれない。当事者ではない赤の他人は憶測を立てることはできないけど。ただそれを、「思いやりのな人」と一瞥してしまうのはあまりにも簡単で残酷ことだと思う。

 

他者を思いやる気持ちが足りないわけでも、余裕がないわけでもないと思うんだ。ただ自分の苦しみを引き止めてしまうほどまでに思いやれる人が現れたら少しは世界も変わるのかもしれないと思う。そうやって少しずつ、誰かを想う気持ちと自分を大切にする気持ちを育んでいくのかもしれない。

 

私は今、自分の悲しみを良い意味で犠牲にしても、守りたい今があるから健康的な女性でいたいとひたすらに願っているし実行している。だから私は偉いし私は強い。このままメンヘラ閉鎖病棟の一時退院がうまくいって入退院を繰り返すことなく、うまく足を洗えますように。

 

時の流れ

「あ、恋人に振られて一緒に泣いた人だ」

 

見ず知らず彼は、あの時電話越しで一緒に泣いた人だった。

 

 

私が彼と別れた直後の話。

好きな人に振られた悲しみで空虚な気持ちを抱えながら、人知れず真夜中にインターネットの掲示板に書き込みをして誰かの反応が帰ってくるのを待っていた。しばらくして、携帯のバイブレーションが反応する。液晶を指で撫でると、掲示板の書き込みに対するリアクションが通知されていた。

なにがきっかけでそんな話に発展したのかは分からない。ただ、淡々と二人で別れた恋人の話をしていたように思う。

彼も同じように愛する恋人といろんな理由をきっかけに別れることになってしまった。自分と同じように、別れてもなお恋人のことを忘れることができず、互いに上書き保存をできるほど心は器用じゃなくて。いつまで経っても戻ることのない時間に想いを寄せては打ち拉がれることしか出来なかった。

どうして互いに別れることになってしまったのか、恋人のことをどれだけ愛していたか、一緒に過ごした時間はどれほど幸せだっただろうか。其れ等の話を夜が明けるまで二人で話し続けた。

気がつけば完全に朝を迎えていて、あまりにも残酷で希望のない日差しだった。いつの間にか話しをしているうちに二人して感受性が高ぶり、涙を流して居た。もう二度と戻ることのない時間に、いつまでも私たちは首を絞められていた。それが良いか悪いかは誰にも分からないし自分自身でも判断がつかない。ただ悲しみだけがしつこいシミみたいに、なかなか落ちることはなかった。

 

恋人と別れた悲しみを、本当の意味で誰にも打ち明けることができなかった。

「彼と別れたんだ。大丈夫だよ。素敵なお別れだったからこれから前進できると思う」

無理やりにでも気持ちに落とし所をつけて前を見つめようとしていた。それはつまらないプライドを振りかざしているだけだったのかもしれない。大泣きしながら友人に電話した時でさえ、『大丈夫』という自己暗示で正気を保っていたあの頃。

何もかも失って始めて一人になった時、どれほど彼を愛し、別れを後悔し、悲しみに身を八つ裂きにされたことだろうか。言葉にして発信してしまった途端、無理にでも押し殺していたのにとめどなく溢れて抱えることが出来ず泣き崩れてしまうのが怖かった。

見ず知らずの彼に素直な気持ちを打ち明けることによって、自分の弱さを少しでも認めることができた良い機会だったのかもしれない。

自分の気持ちに嘘をつき、手探りで代わりになるものを掻き集めて、脆いハリボテで構築された感情に身を包んでこれ以上傷つくことのないよう、必死に守っていたのかもしれない。そんなものは簡単に壊れてしまうのに。残ったのは空虚な気持ちだけ。

 

 

 

それ以来彼とコンタクトを取ることはなかった。

「また話しましょう」と曖昧な挨拶を最後に、私たちは二度と会話を交わすことはなく時間は淡々と流れていって。

 

もう二度と戻ることがないと思って居た時間。失ってしまった人。

気がつくと、私は失た時間を再び取り戻すように、愛してやまなかった恋人と再び添い遂げることができた。もう二度と戻らないと思っていた止まってしまった時間が再びゆっくりと動き始めているんだ。それは真実でしかない。

 

彼とよりを戻してからしばらくして、ひょうんなことから再び彼と話す機会が巡ってきた。久しぶりに連絡を取る彼はあの頃となにも変わらない物腰で、丁寧にひとつひとつの言葉を紡いでい。

「最近どう?」

久しく交わす会話はやっぱり互いの近況についてだ。

「元気のてっぺんが低いから、元気でも元気じゃなかったよ」

送信されたそのテキストの一文はあまりにも物憂げなのに、その向こう側で入力している人の姿はとても物憂げに映った。

彼の中にはあの頃と変わらず彼女の存在が鮮明に生きていて、いまだに何度か連絡をとっているというような話をした。ストレスで体を壊してしまったり、ネット経由で女の子と出会ってみたけどあまり乗り気になれなかったり。彼女という芽はいまだ彼の心の中に根を這っているようで。

「ブログ見たよ。復縁したんでしょう」

数ヶ月前、互いに同じ場所に立ち泣き崩れて居た二人は時間の経過につれていつの間にか遠い場所へとかけ離れてしまったようで。

私は今の幸福を噛み締めながら生きている一方で、彼は変わらずに空虚な気持ちを抱きながら彼女のことを忘れられずに日々を生きてる。其れ等は決して比べるべきものではないけれど、同じ場所に立っていたあの頃に比べてお互いの環境は大きく様変わりた。

それでも一緒に泣いてくれた彼は「あれほど好きだった恋人と再びよりを戻すことが出来てほんとうによかった」と祝福の言葉を送ってくれた。

その時間があまりにも優し過ぎて、私が今持っているすべてのものをより一層大切にしようと心に誓うばかりで。ろくに感謝の旨も伝えることができず。

 

彼と話すことによって失ってしまった関係が再び元に戻ったということは、お互いが本当に愛し合って居なければ取り戻すことのできない時間だったのかもしれないと、素直に明るい未来を信じてみたくなったんだ。

 

あの頃と同じように、朝日が昇るまで彼と話をし続けて、「またね」と言ってわたしたちは電話を切った。再び彼と話す日がまた訪れるのだろうか。

未来はあまりにも不確定で過ぎる。もう二度と話すことができないかもしれないし、もしかすると再び話す機会があったその時、また同じようにお互いの環境は劇的に変化を遂げているかもしれない。

明日のことは誰にも分からない。だからこそ、わたしは今という時間を愛していたい。

 

 

 

長いようで短い、夜の足踏み

鳴り響くEDM。見知った顔に、薄暗い店内、タバコの匂いと女の子たちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。

真っ黒いレースのドレスに身を包み、濃いめの赤を唇に乗せて気持ちを引き締めてお客さんの座るテーブルに向かう。

「しほです。よろしくお願いします」

未だにうまくできない作り笑いを浮かべながら、握手をして男性客の隣に腰をかける。並べられたグラスを手に取り、氷をコップいっぱい詰め込んでから安い焼酎を注ぐ。最初は加減を見て少し薄めに。ウーロン茶か水で割り、黒いマドラーで優しくかき混ぜる。

  懐かしいな、懐かしいなんておかしい。ついこの間まではこのまずい焼酎をお客さんに悪化させられて、悪酔いしてしまい、お気に入りのドレスは嘔吐物まみれになってトイレに閉じこもっていたのに。

 「何歳なの?若いな?彼氏いるの?」

お決まりのセリフが飛び交う。少し切ない顔を作って『彼氏いないんですよ』と嘘をつくわたしはどこにもいない。

「23歳なんですよ。彼氏いますよ。えへへ」

 

きっと最後までわたしはキャバ嬢という仕事に、心も体も身を浸すことはできなかった。

《お客さんと恋愛するのが仕事》

気持ちは器用に身動きを取ることが出来ず、すぐに放り出してしまえるように心の逃げ道を作っていた。やっぱり嘘をつくのは得意じゃなかた、真実という安心の元でしかうまく呼吸をすることが出来ない。

 

 

 

綺麗なドレス、綺麗な女の子、華やかな世界、賑やかな店内の中でみんな笑っている。あまりにも不自然すぎるくらいに。

 

女の子とお酒と煙草と、くたびれたスーツと汚れた作業着。

相反する生き物たちが色んなものを肉付けされて、ひとつの世界が創り上げられていく。

 

 

ホストに狂う大学生、シングルマザーで子育てに励むギャル、学費を稼ぐ女子大生、腕を傷つけて薬を飲みながら働くメンヘラ、借金返済のために仕事をする女の子、

それぞれの人生が右往左往する世界。

 

 

「あの子好きじゃない。あの子って性格が悪いよね。あの子と仲良くしないほうがいいよ。あの子は挨拶しないから嫌い。」

口を開けば毒が淀みなく溢れてくる。

美しく創り上げられた顔と、綺麗な衣装に身を包めばそこは戦場だ。殺し合いが始まる。戦わなければ絶対に勝つことは出来ない。己という武器を振りかざして立ち向かう勇敢なジャンヌダルクたち。

 

勇ましいその姿に魅せられた男は、金という武器で女たちを殺していく。

 

 

争い事は苦手なんだ。すぐに白旗を上げてしまうタチでね。

きっと私の性分には合わなかったんだろうと思うし、それで良かった。人間の欲を引っ掻き回す争いの中で、もがいているうちに底無しの沼にハマってしまうほど恐ろしいことはない。

 

高いヒールを履くその足は、地に足が着いてないみたいでとても不安定で仕方がない。

 

私は地に足をつけて生きて生きたい。

自分の足で地面の感触を味わって、しっかりと歩き続けていたい。気取らない足取りで、いつでも全速力で走りたいんだ。

 

 

 

 

 

私が知る由もない世界がそこには広がっていて。初めてみる景色、出会うことがなかったであろう人々。

果たして其れがプラスに繋がるであろうかは未来でしか答え合わせは出来ない。

長いようで短いその時間の中で、どれだけの多くのことを経験し、どれだけのことを吸収することが出来たであろうか。その値は未知数でしかない。

「いい社会勉強になったよ」と言えるのはきっと今じゃないし、ずっと先の未来で結果を残してから言うセリフだと思う。

 

だから、いま言える

クソみたいな世界から足を洗えて良かった。