コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

過程

「もうあんたのことを私たちは支えきれないよ」とお母さんは泣いた。

死にたいとお母さんの前で大泣きした23歳。ソーシャルネットワークから身も心も離脱して、私は数少ない友人の中で死亡説が流れることを信じて。

 

彼氏と別れて、同性解消をして実家に帰ってきて三度目の人生。仕事だけが最後の砦だと縋るような気持で片道一時間半かけて東京の職場まで職務をこなすために通勤した。その間、心の溝を埋めるように見知らぬ男性とインターネット経由で出会い、何度か身体を重ねたが物理的な快楽さえ得ることが出来ずに空虚な気持ちを抱えながら男性器を受け入れる私の体はまだ少しでも人間としての意義を機能しているようだった。

次第に仕事へ行く気力が徐々に失われ、職務中でありながらも脳が機能せず、上の空でいることが増えた。誰かの前で笑うことも、怒ることもすべてのことへ疲れを感じた。わたしは一体なんのために働いているのだろうか?という当初の異性は失われ、布団から出ることが出来なくなった。

 

休日になるとあまり生きていたくないという意識に見舞われ、暗闇の中でひたすらにネガティブな言葉を唱えるようになった。一人でいることの恐怖からインターネットというコミュニケーションツールを駆使して手当たり次第様々な人々と言葉を交わし、大切な感情や言葉さえおざなりにして、真実さえいつの間にか見えなくなってきてしまった。

インターネットという摩訶不思議な世界にのめりこみ、人間が人間であるかさえ不確定なその世界は人権などというものは存在せず、自分の立っている場所さえ曖昧にしてしまう。たくさんの嘘をついて、一人で居たくないがための捌け口として利用し続けた。そうすることによって少しずつ静かな音を立てて、培ってきた威勢をすべて壊していってしまうように。

 

 

いつしかおざなりした時間の積み重ねはしっかりと私の心を殺して、何もかも捨ててしまおうという感情が芽を出した。どこか首の皮一枚で繋がっている自殺祈祷と自傷行為に対する意識は次第に強くなっていき、怠惰な身が唯一それらを防いでいてくれるものでしかなくなった。

 

怠惰な生活の中で、鬱病で休職中の男の子と出会った。彼は職場の上司から受けるパワハラ適応障害鬱病を併発して休職している最中だった。どんな経緯でそうなったのかはよく覚えていない。ただ、なんとなく時間の流れの中で同じ時間を過ごすことが増え、心が疲弊した者同士で傷を舐め合うように寄り添う形へとシフトしていった。どこかでお互いが拗らせた自意識とプライドをぶつけ合いながら、適度な距離という能動的意識と情動的な動きに身を任せながら共依存のような関係に変化していって。

しばらくして、仕事は長期休暇を取り、その流れで職場に電話をしてこれ以上続ける事ができないと継続を断念した。その旨を彼に告げると「お互い今はゆっくりすればいいし、辛いときは家に遊びに来ればいいよ」というお誘いを受けて彼の家へと入り浸るようになった。

仕事を完全にドロップアウトして彼の住む東京の家に向かう。

「セックスをしない」

という約束をぶらさげて。恋人と別れを告げて、様々な人々と身体を重ねていくうちに心が疲弊し、セックスに対する嫌悪感が再び訪れてしまった事を伝えると、彼は快く了承してくれた。

「でも、キスとハグと、あとおっぱい揉むのは許して」

という男性の素直な性を吐露する彼の言葉を受け入れて宿泊生活開始。いつ帰るというでもなく、なんとなくだらだらと彼の家に滞在する時間は徐々に増えていった。悲しみや寂しさや不安など、お互いの埋まらない溝を身体を寄せ合ってやり過ごそうと努力に勤しんだ。

朝は早起きをして朝食を食べて、軽く運動をして、多くの映画を見たり、ゲームをしたり、本を読んだりそれぞれの時間がそこに流れていながらも確実に人が傍にいるという事実に安堵の気持ちを抱く。食事などはすべて彼の手作りで賄われ、好きなものや食べたいモノなどをそれぞれ口にして、晩酌を早々と済ませて就寝。

こうして素晴らしく健康的な生活のサイクルが作り上げられていく。身も心も少しずつ、きっともしかしたらそれは形だけかもしれない尊い健康を手にして、日々の時間が流れていく。四日目の昼を迎え実家に帰省する。

「またおいで」

と彼はバス停まで見送ってくれた。次来るとき、道に迷わないようにと丁寧に手書きの地図をお財布の中に忍ばせて。

 

そして帰宅後の実家暮らしでは再び。虚無という言葉にふさわしい日々が訪れる。彼との生活とは一変して、夜は眠れず頭痛に悩まされ、再びろくでもないインターネットの吹き溜まりに足を踏み入れる毎日。日々の記憶が次第に欠落していき、毎日人格は変化していく。私は昨日なにを思って生きて、明日になったら何を考えてご飯を食べているのだろうかということさ分からない。日々未来の自分と過去の自分の記憶の欠落と不確定な真実に怯えるばかりだった。

「苦しい」

と彼に吐露をすると、お互い再び傷をなめ合うように

「家においでよ」

と吸い込まれるように再び私の身体は彼の家路へと向かう。どこかで消化しきれていない元恋人への輝かしい想いが疲弊した心にそっと忍び込み心が嬲り殺しにされる。彼と共に過ごす時間さえ虚無を感じる時間が増え、笑うことも次第に疲れてしまった。

免疫力の低下した精神は徐々に蝕まれ、過去へと引きずらていく。

 

恋人に別れを告げられ、互いの抱負を語り合って、輝かしく生きようと決意したあの時間。久しく友人とお酒を飲み、それでも私は強く生きていたいという意思表示も、何もかも今こうしてここに存在している私は果たしてどれほどのモノをまだ胸に抱えていることが出来ているだろうかと思い返したとたんに吐き気に見舞われて。

私は誰かに向けた言葉によって、多くのプレッシャーとプライドと負い目を感じて今すぐにでも人生から離脱してまいたくなった。

 

 

 

夏はとても暑いです。茹だるような日差しを遠ざけるように、私は今日も生きています。最近またひとつ私の身体に新しい絵が刻まれました。ハンガーに吊るされていきているように。

夏はいつだって私の心を苦しめます。彼も言いました「夏は嫌だね」と。最後に交わした言葉はもう覚えていません。唯一わたしがお呪いのように頑なに心の中に秘めていることは、自傷行為を行わないという事実です。

 

私はとても弱いです。気づけばすぐにつまずいて、それでも再び素知らぬ振りをして歩き出すことが得意です。いえる傷も、悪化していく古傷も、多くの痛みと快楽を抱えながら目まぐるしく生きています。残念ながらいまこうして息をしている事実をとても疎ましく思います。死という安心に心のウェイトをかけてしまおうと思うほどに。

それでも、それでも、幾度となく生きることへの兆しは鬱陶しく芽生え、死への安心感は根強く心に芽を張っています。幸せになりたいという漠然とした何かを布団に寝転がりながら手を差し伸べても何処へも行けないし、何処にも心は届きません。

 

それでも私はいま、確実に生きていて、一秒一秒の歳を重ねています。

 

 

なんとなくです。未来は不確定なのでわかりません。それでも私はまだ、すべてを捨てる勇気はそこまで大きく育っていないようで。失いたくないものがある事実はこうして言葉を紡いでいることが確かな証拠であると思います。

そうじゃなくて、多分全然違って、

 

だから、誰かのためじゃなくて。その意識の中に他者が大きく介入しているものではないのだけれど、上手い言葉は見つからないけれど、私はきっと大丈夫です。今この瞬間悲しみの渦に飲まれ、深淵の淵をなぞるように歩いていたとしても。きっと危機一髪で、再び警戒な足取りで歩けるような気がするんです。

悲しみは繰り返されど、同じように幸福も再び繰り返されるでしょう。悲しみの受け止める器はとても小さいのに、幸福を受け止める器はとてもじゃないけど大きくて溢れ返ることがないでしょう。

 

でも、それでも、いくらだって悲しみと幸福に打ちひしがれながら、疲れてしまうこともたくさんあるけど。不思議と今をすべて失ってしまうほどの意思はまだ用意されていないみたいで。その時が来るまでは、もう少し今を生きてみようと思います。

 

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私はここに立っています。どうか忘れないで。探してください。愛してください。

愛してます。ありがとう。