コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

悲しみ

結局のところ一睡もせずに朝を迎えてしまった。

 

特に悩みなど一つもない。

最近会った大きな出来事といえば、イヤホンが壊れたり、腕を切りすぎて脂肪が露わになってしまったり、どうせそんなことだろう。誰かにとっての大事は誰かにとっての小さな出来事しかないでしょう。

 

また一人、どれほどの距離で図っていたのか分からない人間が自分の手元から離れていった。最初から私のテリトリーに彼は存在していたのか。不確かなものを死に物狂いでかき集めて、ハリボテのしれらから吹付けられる隙間風に心を痛めながら生きていく。どうして人は人を必要として、愛し愛されて生きていけるのであろうか。ずっと此処に存在するものは不確かなものでしかないよ。

 

彼はどれほど真実であっただろうか。人はあっけなく消えてしまう。「あ」という声を出す時間も惜しんで、消えて無くなってしまう。真実はどこまでも尊いものであろうと思う。私はどこまで行っても、その尊い真実という魔法にかけられたまじないに騙され続けて泣き続けるのだろうか?

疲れた。日々を生きることに疲れるその根底にあるものは、些細な物事の積み重ねによって小さい出来事さえ肥大化された化け物になっていく。可哀そうに。君はいつからそんなに可哀そうな心に育ってしまったのか。

唯一生き残ったあの子からローターが届いた。彼の言う「さいこう」という雑な物言いに心が揺さぶられて生きていく。

インターネットにはいくらでも保険がかけられる。どこにでも変わりが溢れているように、そうしてまた使い古されては、新しいおもちゃを探す。人と人との繋がりはとても儚くてそこには美しさなど存在しない。ボタン一つで赤の他人になれてしまう。電波を通して繋がったそれらは、誰かの言葉と言動とともに色とりどりの煌びやかな世界に彩られた甘いケーキだ。

中毒性がございます。用法容量なんて、そこに集う日人々は説明書など捨ててしまう。疲れ果てた心を癒すため?暇つぶし?考えるほどに不健全な思考回路がそこに現れるしどうしたって上手く線引きをして前を見て歩けない。

 

 

どれほどの保険がそこにかけられているだろう。どこに生きているのだろう。多くのそれらは、人々は誰かの保険によって成り立っている人間関係なのか?人は人ではなく中毒性のある薬のように。ケミカルだ。

他者が自己と異なるのは当たり前の話で、そこには何かに長けた人も劣った人も存在する。心に悪い毒が詰まっている。幸福と不幸は紙一重のように、簡単にどん底へも幸福へも突き落とされてしまう。気持ちの準備なんて何時もできていないんだ。

 

ねえ、神様 ジーザス