コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

愛しさと切なさと、心強さだけ足りない

どんどん家にお金が貯まってく。何の運なのか、お金という価値がぐるぐる回ってる。その分、好きな人との距離は少しずつ時間という代償で遠くなる。心はおでこをくっ付けるほど高いのに、意識のない温もりに縋り付く夜が増える。その分お金はどんどん溜まるし、生活も豊かになって、少し背伸びした暮らしに変化していく。同時に誰かの体は悲鳴をあげながら、奮い立たせる心で前進する。

 

私はどこにいるんだろう?どこで立ち止まっているんだろう?前に進む人と、今を立ち止まる人の象徴が対になっているようだね。

彼は今ものすごく前進して、お金をたくさんもらって、上司に讃えられながら毎日を食いしばって進んでるのに。私は1人で机に座り、分からない文字の羅列を目で追いながら、必死に何かを踠いて地団駄を踏んでる。

毎月決まった日に振り込まれる対価は、私に見合ったものなのだろうか?1時間ごとに発生する人件費の中で、どれだけの貢献をできているだろうか?誰かに賞賛されるわけでもなく、陽の目を見るかわからない記号ばかりが頭の中をぐるぐるしてる。

家路に帰れば、ほんの数時間だけ好きな人と会話をして、暖かいかの温もりを感じ、布団に入って無意識の血と骨を撫でる。

 

「辞めたい」って弱音を吐く彼の一番安らげる場所にもならない。何かに焦って、何かをつかもうとして、形が欲しくて独りよがりばかりだな。寂しいから今すぐに変化と形が欲しいの?名字が変わっても、彼が私のものになるわけではないし。たまにすごく虚しくなる。虚しくてたまらなくて、それを埋められるのは彼しかないのに自分で慰めないといけない時間も増えた。大丈夫だよって言葉は、古くなる。

 

もう直ぐ年末年始。長い休みの始まりだ。彼もなんとか5日間の休みをもらった。5日間という有意義で特別な時間は、どんな風に消化されていくの?

私は勝手に10日間も休んじゃって、何をすることなく休暇は消化されて、また何事もなく毎日がスタートする。平成最後だとか、2019年だとか、世の中の概念にどこまで自分を染められるのか?不安で仕方がない。

朝起きて1時間半後には立っている突き刺すような寒さのホームには、顔馴染みの駅員さん。これからどんどん冷え込みがひどくなって、そんなことも関係なく私たちは毎日働いて、その対価を得てる。前に進んでるのか?後ろに下がってるのか?全然わからなくなるんだ。大切な人の顔ばかりが走馬灯のように浮かんでは消えて、限られた時間で必死に心の熱をあげる。

 

この燃えたぎる熱は、どこへと消化されるのか?この虚しさや寂しさは、血となり肉となり、土に還ることはできるのか?