コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

私は生きる

明日は入社オリエンテーション。人生はじめてのオフィスワーク。社会人という名に一歩近づく瞬間。

なにもない、生産性のない私は、それでも曖昧な自分の中の何かを信じて生きてきたつもりだった。それは自分の中のものを信じることではなくて、ただ逃げてばかりの人生だったのかもしれない。何一つとして長続きするものはなかった。仕事を初めても1年足らずでやめてしまうことが多かった。いろいろな理由がある。それは周りの人か見ればただ逃げているだけに過ぎないかもしれない。

病気という都合のいい言葉を使ってずっと逃げ続けてきた。目指していたものを手放したあの時から、私の中の情熱は死んで、何を思って生きていけばいいのかわからなかった。あの頃はいつだって輝かしかったであろうし、24歳になったいまでも、あの頃の自分を振り返って見れば「かっこよかったね」って言える。

人はいつだって変化するし、時には妥協という言葉を受け入れながら生きていくために歩き続ける。私は少し休憩時間を長く取り過ぎたのかもしれない。

大人になっていろんなものが見えてきて、新しく多くの人々と関わりを持つことで、自分の不甲斐なさや弱い部分がたくさん見えた。他者の評価が必ずしも正しいものだとは限らないけど、誰かの正論は泣きたくなるほど痛いものばかりで、自分の薄っぺらさや中身の無さを突きつけられた。だからといって気を病む必要はないと思うし、私自身がいまやるべきことを突き進むしかないと思えたのは少し成長した証拠かもしれない。

 

今まではずっと生ぬるい人の温かさに触れて生きてきた。人に否定されてばかりの人生の中で、少しずつ自分を肯定してくれる人が増えて「貴方にしかない魅力がそこにあるよ」という誰かの甘い言葉に、根拠のない自信を抱いて生きてきたのかもしれない。その言葉を歪んだ自らの自己承認欲求で消化して、無駄にしてきてしまったことも多くあったかもしれないと思う。

24歳を迎えて、ふと顔を上げてみると私にはなにもなかった。誇れるものも、一人の人間として生きていくスキルさえも乏しく、この先どうなってしまのか?という不安に包み込まれ腰が重くなるばかり。今まで何をして生きてきたのか?と本当に生きる上で大切なものをたくさん見落として時間だけが通り過ぎていってしまったのかもしれない。

再び過ぎ去って時間を取り戻すことはできないけど、いまわたしが出来ることは目の前の掴み取ったチャンスを無駄にしないこと。逃げてばかりだった私だけど、これからは自分なりに向き合っていく姿勢でいろんな物事を頑張っていきたい。

 

 

日々、勉強させられることはたくさんある。私は人より劣っているし、周りの同年代に比べて多くの物事を知らない。一人の人間としての欠点が多い。だからこそ今からでもたくさんのことを学ぶことができる。

世間の風当たりは強いし、馬鹿にされることもたくさんある。悔しくて泣いてしまったり、不安に思うこともたくさんある。過去は事実でしかないから、これからの未来で新たな変化を生み出していけばいい。過去を悔やんでも前には進めないし、未来の自分に全てを委ねるのではなく、今の自分に期待をしよう。

馬鹿にされるのは腹立たしいし、突っぱねらるのも否定されるのも怖い。それでも人は歩き続ける強さを持たなくてはいけない。

しょうもないプライドを振りかざして、防衛心を振りかざして生きて来たかもしれない。脆すぎる自分という武器は他者の正論で簡単に崩れて壊れてしまう。

馬鹿にしてきたあの人も、本当は私よりずっと立派だった。私が馬鹿にできるような存在じゃなかった。みんな力強く生き続けている。私は不器用で変なプライドも高くて、精神が弱いかもしれないけれど、それでも私いま自分ができることをやっていくしかない。どんなに誰かに馬鹿にされても、いまできることをやらない理由にはならないよ。だから負けたくないんだ。誰かの言葉で踏みつぶされそうになっても自分の弱い心に負けたくない。

 

 

 

 

 

まだ右も左もわからなくて不安なことはたくさんあるけど、応援してくれる人がいることは心強い。

お母さんに仕事の報告をすると「しおりは真面目だからたくさん勉強して、新しい仕事も頑張れると思うよ」と応援してくれた。

周りの人が背中を押してくれるから、わたしは頑張れる。今まで逃げてばかりの人生だったけど、しわ寄せを食らうのも自分自身で。自分が生きやすくなるような道筋を立てるのも自分自身なのだ。これからは未来の自分のために、少しでも歩きやすくなるように道を補正してあげる努力をしよう。向き合うこと、立ち向かうこと。

今は抱負として掲げているだけだけど、いつかそれを実現できるように。真実に変えられるように頑張ろう。

 

いつだって口だけだった。一過性の躁状態に酔いしれて、未来の私にばかり期待をしては何一つ叶えることはできなかった。今年は自分の抱負を実現できる年にしたいな。きっと逃げたくなることも手放したくなるものもたくさんあるけど、めげずに突き進んでいくことで、継続することで新しく見えてくるものがきっとあると思う。

私はちっぽけで弱くて不甲斐ないところばかりだけど、それでも幸せになりたいという気持ちだけは変わらずに持っているから。自分がもうすこし生きやすくなるために、幸せを掴むために頑張ろうと思うんだ。結果を残せるように。

 

あなたの記憶の中に私はもう居ないけれど

なかなか実家に帰ることもできず、タイミングもあってしばらくの間祖母に会うことができなかった。

今年は彼女に会いに行こうと、「明けましておめでとう」を伝えに会いに行った。久しぶりに見るおばあちゃんは随分小さくなっていて、あの頃の活気はもう失われていた。痩せ細ってしまった体、冷たい手。

お土産にはおばあちゃんが大好きだった茶屋のプリンを買って行ってあげた。それを少しずつスプーンですくって口に運ぶと「すごく美味しいね」とゆっくり咀嚼して飲み込んでいく。

 

「しおりだよ?久しぶりだね。なかなか会いに行かなくてごめんね。」

「だれですか?わからないわ」

彼女は少しよそよそしい態度で、他人行儀なそぶりを見せた。

もう彼女の記憶の中に私は存在していなかった。

 

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生まれたときからずっと一緒だったおばあちゃん。色んな映画や音楽、小説をたくさん私に教えてくれた。幼い私の無理なリクエストにも頑張って答えて一緒に遊んでくれた。

わたしが中学生を境に、彼女はアルツハイマー認知症を患ってしまい徐々に彼女は変わってしまった。思春期というのもあって少しずつ溝が出来てしまい、祖母のことで頭を抱え、家族全員がノイローゼになってしまうかと思うほどに介護に悩んだ日々もあって。家族共々、きっと祖母も含めて精神的に疲れ切ってしまっていた。

大好きだった祖母も、いつしか家族の厄介者となってしまい、追いやられてしまうような形に。それは今思うと仕方がないことだったと思うし、それ以上に悲しいことだったと思う。

 

私が19を迎える手前だったろうか、祖母が老人ホームへと引き取られることになった。

 

それからというもの、家を開けることの増えたわたしは祖母に会う機会が段々と指で数えるほどになってしまった。

父や母は熱心に彼女のもとを訪れ、度々近況報告などを聞いて。時間があれば彼女のもとへ訪れた。少し距離の出来た私たちの関係は少しずつ溝を修復していくように祖母に優しくすることができて。穏やかな時間がそこには流れていた。

 

それでも残酷にもアルツハイマー病は彼女の記憶や精神を蝕み、どんどん色んな記憶が霞んでいってしまった。誰にも止めることはできなくて、久しぶりに会いにいけば誰が誰だか分からなくなってしまうことも度々あった。

それでも大きな声で自己紹介をすれば、思い出したように、にっこりと微笑んで「来てくれてありがとう」と言ってくれた。

 

少しずつ、ゆっくりと色んな人の記憶が消えて無くなり祖母はいつかひとりになってしまう。残酷なまでに、様々な思い出を記憶から消し去られ一人旅立っていく。

 

今年で90歳の大所帯。90年も人生を生きるとは、24歳のわたしには想像もできない時の長さを彼女は生きて来た。

老い先短い人生の中で、彼女は絶えず色々な物事をリセットして旅立つ準備をしていくのだろうか。

 

父の母を思う気持ちや、愛する母親に少しずつ忘れ去られてしまう締め付けられそうな恐れを押し殺して優しい笑顔で接するその姿は胸が苦しくて見るに耐えなかった。

それでも一生懸命、今ある時間を消化していくように彼は母親に話しかけ続ける。「元気そうでよかった」って

 

 

 

もっと優しくしてあげればよかったって。もっと感謝して、もっとごめんなさいをたくさん言いたかったって。あなたの記憶の中にわたしが残っていた内に伝えたい言葉がたくさんあったのに、もう届かない。

失ったものは二度と戻っては来ることはなく。

あなたが私の名前を呼んでくれる日はもう訪れることはないんだよね。

ごめんなさい、おばちゃん苦しいです。

 

あなたに会えるのも、あと片手で数えるほどしか残されていないかもしれない。再び顔を合わせれば、あなたの中で私は「知らない人」として認知されてしまう。

それでも、私の記憶が確かに続く限りはあなたのことを忘れずにいたい。あなたが生きている限り、残された未来の中で新しい時間を築いていきたい。あなたの記憶に残ることが出来なくても、その一瞬だけは二人にとっての確かな事実として其処に刻まれるから。

 

「冷たい手をしてるね」と握ったわたしの手を強く握り返してくれた感触はあの頃と何も変わらなくて泣きそうになってしまった。

 

大好きだよ、おばあちゃん

たくさんの素敵な思い出と出会いをありがとう。 

 

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2016年

2016年

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出会いも別れもあった一年だった。それはきっと去年も同じようなことだったと思う。

 

年明けは大好きな人と一緒に新しい年を迎えた。

2016年当初はセブンイレブンバイトに奮闘し、中国人店長と折り合いが合わずにドロップアウトをしたり。

新しい仕事を探すために初めての古着スタッフに奮闘した春の幕開けを告げる時、面接を終えた帰りに夜勤帰りの彼と散歩をして。とても心地のいい匂いのする古本屋さんを見つけたことを今でも覚えている。

古着屋では様々な出会いがあった。個性的な先輩方に支えられて、初めて仕事に対する誠意とやりがいを感じることのできる職だったかもしれない。

春が終わる頃に彼とはじめてフクロウカフェに行き、まだ少し冷たい夜風を浴びながら二人で秋葉原から家までの長い道のりを歩いて帰ってたり。初めて出会った夜に上野から家路までの道を思い出し、二人で思い出話をしながら帰ったりもした。

 

五月を迎える頃、お互いの仲に「溝」を感じてしまい。いつの間にか自分の中で空虚な気持ちと闇を作り出して、大雨の真夜中に腕を血まみれにしてしまった。何がどうして其処まで自分を追い詰めてしまったのか。

私も、そして彼も悲しい気持ちでいっぱいいっぱいになり、五月の終わりを迎える頃に二人の関係も終止符を迎えた。

悲しみに打ちひしがれ、どうすることもできず、ただひたすら夜の街を彷徨ってた。

最後に彼とゆっくり言葉を交わした夜。缶ビール一本二人で飲みながら「映画見たいだったね」と最後は二人で笑いあった。一緒に布団に潜り、優しく抱き締められながら穏やかな眠りについた最後の夜。

次の日、仕事で家を空けた彼のいない合間に部屋を隅々まで片付けて、一人で荷物をまとめながら涙が枯れるほど大泣きをした。これでもかと言うほどに、押し潰されそうになった精神を抱え込んで壊れてしまわないように泣いた

 

その間に新たな出会いもいくつかあれど、結局どれも報われることなく、相変わらず彼を忘れることが出来ずに満たされることはなかった。

 

実家に帰ってからもしばらくは古着屋の仕事を務めていた。

少しずつ精神的な部分で縺れを感じて、結局ドロップアウトしてしまった。仕事をやめて何も守るものがなくなってしまい漠然と毎日を過ごしていた。

 

満たされることない気持ちを埋めるべく新たな出会いを見つけ、目的もないだらしない関係を一人の男性と続けた。彼の家に遊びに行き二人でご飯を作って、なんの目的もない日々を淡々と過ごした。

「しょうもないサブカル映画みたいだね」と苦笑いしながら抱き締めた彼のセリフは今でも記憶の中に鮮明に残っている。きっと互いに『好き』と言う気持ちはどこにも存在しなくて。真夜中にふと放った彼の「付き合うと終わりがあるから、もうなも失いたくないから、彼女にしたくない」という言葉は今でもしょうもなくて腹立たしく思う。

 

暑い夏を迎えて、様々な人々が実家へと遊びに来た。

江ノ島で写真を撮ったり、スラムダンクの踏切で写ルンですを片手に写真を撮ったり。真夜中の公園で弟と三人で花火をしたり、ブランコから落ちたり。いろいろな思い出を残して彼女は大阪へ帰って行った。

東京から来たら彼女と鎌倉の海で酒を交わし、ナンパされた男に連れ回されてレストランへ。なぜかポテトでポッキーゲームが始まったり。本気で相手がロックオンをしてきたところでお別れ。家路についた彼女のTバックを見てドキドキした。

7年ぶりに再会した高校の友人が子連れで泊まりにきて。子供の面倒を見るのはやはり大変で、同じ視点に立って同じテンションでものを見るのはとても疲れた。それでも子育てに奮闘する彼女の母親としての優しさや、健気に生きる子供の尊さえを眺めていると心が暖かくなった。

 

そんな7年ぶりの彼女との出会いを経て、人生はじめてのキャバクラ勤務もはじめた。おじさんにいろんなものを買ってもらったり、新たな出会いがあったり。男性との接し方やトークスキルなど様々なことを学ばせてもらった。決して楽な仕事ではないけど色々なことを学ばせてもらえるいい機会だったかもしれない。

毎日身を粉にして働いて、精神も心もボロボロになり夜中にキッチンで泣きながらいつの間にか眠っていることもあった。

 

そんな夏も真っ盛りの中、まだ癒えることのなかった彼への気持ちを本人に打ち明ける機会を設けてもらえる時が訪れた。

もう二度と会うことはない、言葉を交わすことはないと思っていたあの頃。荷物のやりとりという義務連絡を通しながら、たわいもない言葉をつらつらと毎日交わすことが増えた日々。終わりが訪れてしまうことを恐れて「おやすみ」というその一言が言えずに淡々とやりとりは続いて。

いつのまにか隙間のできた時間が再び繋がり、またこうして一緒に歩むことのできる時間が続いていくことを幸せに思う。

 

 

それからと言うもの、仕事に奮闘し、夏も終わりを迎える頃には友人がカレーを作りにきてくれたり。

岡山から友達が遊びにきて、新たなコミュニティを築くことができたり。

 

暑い、けだるい夏を過ごしたあの子は元気だろうか。最後に捨て台詞のようにぶつけられた「君のことなんて全然好きじゃなかった」という言葉は、振り絞った抵抗だったのかもしれない。

 

出会いも別れもあった。

失ったものが再び蘇る年でもあり、人と人との繋がりを大切に思える年でもあった。

 

たくさん怒ったし、たくさん泣いたし、たくさん笑って、たくさん愛された一年でもあったかもしれないと思う。

 

私はあいも変わらず不甲斐ないばかりで、だらしないところも、まだ一人で地に足をつけて生きることもままならない。それでもそれでも、少しずつ年を重ねるごとに気づかされるもの増えて。

当たり前はなかなか難しいけど、少しずつ自分なりに今できることから消化していけたらと思う。ダメなところは改善して、いまできることを褒めてあげたい。