コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

ほっといてくれよ

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雨が深々と降っている土曜日だな。外は湿気に包まれて、地面が濡れていることにも気づかずに意気揚々と洗濯機を回して失望してた朝。雫が地面にぶつかる音は、わたしの耳に届かなかったのか。

 

あんなに楽しみにしていた休日は何もすることがないし、どこにも行くところはない。友達に紹介してもらったスペイン料理のお店に行く予定があるけど、腰が重くてどこにも出かけたくない。今の仕事と平行して副業を始めるなんて自分には荷が重すぎて断ろうとしたけど、人が足りないというバングラディシュ人の押しに負けて土日だけ出勤することになったかもしれない。行きたくないな

 

いまの会社はライター志望として入社した。いざ仕事を始めてみると業務内容と言えば主にウェブディレクター。会社で請け負っているサイトの運営をする仕事だった。サイト内に載せる記事を調査して、どういった流れでやって行くか思案する仕事。それでも自分が与えられた仕事をまずはこなしていこうと奮闘するうちに、今後いまの業務でどういった目標を持って仕事を遂行するべきなのかというビジョンが最近少しずつできてきた。

上司もわたしの向き不向きを考えながら仕事を振ってくれるので、持っている武器とまでは言わないけど、自分の術をより磨けているように感じる。ウェブディレクションの業務といっても、主に上司が設立した運営サイトのお手伝いばかりだ。それでも自分が手をかけて行った小さな実績でサイト自体に動きが現れるのは面白いんだよね。主に文章の構成をしたりブラッシュアップを手がけるのがいまの業務。些細な業務の中にも細かいディテールにこだわることによって、サイトの運営を促す鍵がたくさん含まれている。将来的に自分がひとつのサイトを受け持つようになった時に心得ておくことばかりで毎日勉強になるんだ。

 

そんなある日、休憩時間の喫煙所で他の上司たちが不平不満を口にしていた。その対象となる人物はわたしの直属の上司。確かに彼女(上司)はかなり問題のある人間だと思うし、それが原因で何人かの人間がやめてしまうこともった。わたし自身も上司のことで頭を抱えて、業務中に泣きそうになったこともある。でも彼女は間違ったことばかり言ってるわけじゃないと思う。

わたし自身も喫煙所に屯ろした上司に彼女のことで「大丈夫?」と声をかけてもらい、話を聞いてもらったことがある。不平不満もぶつけた。しかし上司の業務遂行に対するプロセスに対しては何も不満はなかった。それだけ真剣に取り組んでいるからこそ、会社の中で一番大きな実績を残しているのは事実だと思う。なあなあでやっている人たとに彼女の業務形態に対して何か文句を言える立場じゃないのになって感じた。

もちろん喫煙所にいる上司たちがいう、彼女への不満も一理あるところはあるんだ。彼女のやり方は少し強引だし、傲慢さもあって部下がついていけない。自分一人で全てのプロジェクトを立ち上げてしまったせいか、チームプレイがうまくできないところがある。改善した方がいい点や、社内の多くの人間が問題視する部分は多少あれど、あの人の強みはしっかりと結果を残していること。

「結果がそんなに大事なのか?」と言っていたけど、仕事で大事なのは結果じゃないのかな。会社に貢献して業績を残し、結果を残すことを目的として日々思考を凝らす。もちろん過程も大事だけど、その先に明確な目的や結果を立てないと、ガムシャラにやっているだけじゃ次のステップには進めないんだ。

 

その悪口大会は直属の上司を心底人間として否定するような物言いに発展し、みんなでこっそり共有して笑っているみたいで気持ち悪かった。

そこにいた人たちも上司も、みんないい人だけど、みんなが嫌いになりそうだった。

だってしまいには彼女が持病で拗らせている喘息の咳き込みに対しても「うるさい、業務の支障になる」って言い出し、すごく悲しくなった。彼女の直属の部下として働くわたしに対して優しく声をかけてくれたその人の意図は、悪口大会に引き込んで味方を増やしたいだけだったんじゃないのかさえ考えた。

正しいことは正しいと、時には武器を持って一緒に戦ってくれる味方だと思ってたけど、検討違いだったのかな。彼女の下では働く人が可哀想で心配だという気持ちの裏側に自分自身が相手に対する「嫌い」という気持ちが透けて見えてた気がした。大人なんだからもっとうまく取り繕ってほしかった。助けようとしてくれる気持ちの裏側に、自分の個人的な感情が八割含まれているくらいなら、助けてくれなくていい。

わたしはわたしで自分なりに歩けるので、その界隈に引き込んで巻き込むなよって話。

 

すごくずるい話をすると、悪口を言っていた人々は結局のところ違うプロジェクトの人間だし蚊帳の外だから好き勝手に吐き出せる。でもわたしは現に当事者として彼女から様々なことを教わっているし、蚊帳のど真ん中にいるんだ。いつも気が気じゃないし、怯えてるし、嫌なところも良いところも、誰よりもたくさん目にしてる。立ってる場所があまりにも違いすぎるのに同じ場所に引き込まれたら、わたしの立場もなくなる。事を荒立てないように、今やるべき事を吸収できればそれでいい。

わたしは大丈夫なので、あの、なんかもう、ほっといてくれませんかって感じ

遠い愛情

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いつまでもずっと手が届かないところにいるなあ。ずっと一緒に居ても、その美しさに目を凝らして眺めていることしかできなくて、自分にはあまりにも勿体のない生き物なのじゃないかって時々考えるよ。でも、それは会えない時間が育んでいった貴方への偶像でしかない。本当はずっと弱くて、ちっぽけなところもあるのに。私の中ではずっと大きくて立派で強い生き物のような気がする。

でも、痛みも悲しみもあまり見せてくれないよね。本当に必要な時は一人で隠れて巣穴に逃げ込んでしまうみたいに。それは、自分の無力さを突き付けられているみたいで苦しい気もするよ。本当の弱さを見せることのできない存在なのかな。まだ、どこかで距離があるように感じる時がある。一生知ることのない何かを隠し持っているようで、それはものすごく繊細で誰かに見せびらかすようなものじゃない。本当はそういう柔らかいところを触りたい。

たまに本当に、あの人が何処で生きているのか分からなくなる時があるな。人が何を見て、なにを考えているかなんて、他人に理解することなんてできないけど、そういう次元を飛び越えて何処か遠くに行ってしまう時がある。それは少しオカルトっぽい表現になるけど、どこか病的で、人が壊れる寸前の音がするような気がする。本当に壊れてしまわない為の防衛なのかもしれない。

 

「ごめんね」っていう言葉を最後に連絡は途絶えて、なにも分からないまま私は待つしかない。駆けつけることも、事の真相を突き止めることもしない。本当に心配だったら電話でもかけてる?こういう時の正解が私にはわからない。元気づける道具を何も持っていない。ただ、日常のどこかでふと「大丈夫かな」と何度も連絡を待っているだけ。今やるべきことは帰ってくることを待つことだ。私は薄情な女なのかもしれない。決していい女ではないし、常々そのことは周りの人間に口酸っぱく言われている。容量が悪いことも含めて知り尽くした顔で、なにも期待することなく時間を共有してると思う。それはポジティブな意味でね。この言葉を付け加えれば、なんでも物事はいい方向に進む気がする魔法。

何処で生きてるんだろう。一人で泣いてないかなって心配しても、でも心配は誰にでもできるって言葉がずしんと心の底を突いてくる。きっと心配も愛情も全部「エゴ」だって考えると言葉に詰まるし、何もせずに淡々と時が流れていくのを待つことしかできない。

いい女ってこういうときどうするんだろう?でも、他人だったらこういう時どうするのって考えはあまりにも自我がなくて、甘えてるばかりだ。

まだまだ自分は弱い人間だから人の痛みを包み込む強さは何処にもない。きっとそれを理解したうえで、あの人なりに消化して生きてる。だから、いつも楽しいと嬉しいと幸せがそこにあんだけど、それはあまりにも完璧すぎて時には寂しいっていう感情が芽生える時もある。

 

ある時、昔の恋人に会ったときの話なんだけど。あまりにも仕事のストレスにもまれて、酒の席で思わず疲れた顔をしたとき

「そんな顔、彼氏の前で見せちゃダメだよ」

って言われたときに大人ってすごいなって感じた。ああ、こういう疲れた顔とか悲しい顔は好きな人に見せちゃいけないんだって。今まではずっと痛みを知ってほしい、その傷を癒せるのは愛している人だけでしょ?って期待を込めて人と関係を築いてきた。でも、本当は楽しいとか好きとか面白いって気持ちが、そういう色が、一番に人を輝かせるはずはずなのにね。

例えば疲れた顔をしても、それは理性的であるべきなのかな。上手に吐き出したり、弱いところを見せることが大切なのに。何も考えずに理性を取っ払って吐き出されるマイナスは、本心であると共に、時には暴力的なものへと変わってしまうでしょう。

だからもっと賢く自分の痛みを武器に他人を利用するべきだし(すごく嫌な言い方だけど)、そうすることで、光が見えるその先へのゴールが見えてくると思う。でも、まだ私は不器用な部分が邪魔して上手く痛みを働かせることができない。「疲れた」ってただ一言で全振りして、深い眠りへと逃げ込むみたいに。それじゃ誰も手を差し伸べる余裕すらそこに与えることができない。

自分じゃ処理しきれない感情にぶち当たったときに、賢く痛みを発信できる人はロボットなんじゃないかな?って思う。ロボットみたいに壊れたら修理すればまた動くし、きちんと決まったマニュアルがそこに存在しているみたいにさ。機械じゃないから修理を施すときのマニュアルはどこにもないし、数うちゃ当たる戦法でぶち当たるしか救いの手立てを立てることができない。

私の痛みにもマニュアルがあって、説明書を読みながら順序を守って操作すればすっかり元気になったりしないのかな?どこまで行っても人間だから、そんなにうまく動作を起こすことはできなくて、失敗も成功も、後遺症も、全部の痕が一つ一つこの体には残ってる。

 

あ、本当はそんな話がしたかったんじゃなくて。なんだっけ。あの人との話だ。

元気にしてるかな、お仕事してるかな、お酒を飲んでるかな。彼は賢いから大丈夫って気持ちもどこかにあるんだ。あの人ならきっと大丈夫って気持ちと、本当は些細な事柄でもいいから貴方のヒーローでありたいという気持ちも。楽しいと面白いと愛してるのほかに、ほんの少しの悲しいも欲しい。彼の心の隙間を除いて、運よく滑り込んで満たしてみたいなあ。

美味しいごはんを作ることも、優しい言葉や力になる物事を与えることも、いまの私のスキルでは到底追いつかないことだけど、抱きしめることは出来る。望むなら抱きしめて「疲れたね」って二人で笑いたい。でも、そのタイミングとかそういうのが上手くつかめなくて、遠くから見舞ることしかできない臆病者なんだ。よく遠いなって感じてるけど、本当は自分から遠ざかっているだけなのかもしれない。ねえ、今何してるの

古臭い記憶

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ゴールデンな毎日も明日で終わりだ。わたくさん食べて、好きな人に会って、お小遣いを一万円もらって、生きたい場所に行って。失敗も成功もすべてを楽しめる大型連休だった。

去年の今頃はこんな風に大型連休を楽しめなかった。大型連休なんてものは、概念でしかなくて、古着屋で働く身だった頃は祝日・休日はかき入れ時の繁忙期だからね。せっせと働きながら休日を楽しむ人々を恨めしく横目に眺めていたよ。いまはこうして社会人の一員として、小さな企業に勤めて暦通りのお休みをもらっている。私はここに立つことができてよかった。

幸福だと感じる日は常々むかしのことを思い出す週案が身についていて、自分はあの頃どんな風に息していたのだろうか?と日記を読み返す。去年の今頃は悲しみに満ち溢れていたな。空虚な感情が満たされることなく、ずぶずぶの重たい心を危うい足取りで持ち歩いて生きてた。「あんまり生きていたくない」をどこかで大事に育てていたよ。その気持ちに負荷が掛かり、気づけば深夜の道路のうえで腕を切り刻み泣き叫んでいたような記憶があるし、日記にもそう綴られている。いつの間にか色んなことが終わって、始まっていく毎日だったな。「生きる」という当たり前のことを疎かにするあまり、大切なものさえ、なに一つ守れなかった。あの頃を思うと未だに胸が苦しくなるよ。

そう、わたしはいま嫌というほど地に足付けて生きている。まだどこかで「死んでしまいたい」という感情は密かに丁寧に息をしているかもしれないけど、深い眠りについて目は覚まさない。

 

父と弟とドライブに出かけた際、地元の海を車でドライブした。その時、見た景色や眺めた光景は再び過去の記憶を呼び起こす。夏の暑い日に、当時仲良くしていた男の子と海沿いのラブホテルに宿泊したオモイデがある。夜中に二人で浜辺まで歩き、波の高い潮の満ち引きに飲み込まれそうな恐怖を感じながら二人でぼーっとして。あの子は元気だろうか?最後の最期は捨て台詞のように「君のことなんて好きじゃなかった」と言われて終わった関係。

去年の記憶や経過した時間は、まだ鮮明なものだけど、いつの間にか記憶は霞んで古臭くなっていくんだろうな。あの時の感覚も、気持ちも、少しずつ過去のものとなって忘れていってしまう。きっとそれでいい。私たちはいつも今を生きていて、新しい時間を重ねていくごとに更新されていってるのだから。

 

様々な思い出によってわたしという人間は構築されている。その一つ一つはとても残酷で、ちっぽけで、幸せな尊い記憶の一部だ。思い出すべきでない記憶は、少しずつ消化されて掘り起こされることなく古い記憶として化石化していく。大切な思い出はいつでも傍に置いて、手の届くところに摘まみたいデザートみたいな感覚で生き続ける。

どんな思いでもいつかは新しい記憶の中で風化していくんだ。ちゃんと物事は終わっていくんだね。ありがとう