コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

人と暮らすとか、人と住むって多分ものすごく大変なことなんだろうな。私はよくそれを今までしてきたものだ。

 

自分の中での決まったリズムがあってそれを狂わされると全部がダメになる。自分の中で作ったローテションや決められた完璧を少しでも乱されると何もできなくなる。柔軟性はないし、どこへでも生きていけない。決まったそれらが揃ってないと、それらが少しでも狂うと何もかも放棄したくなる。

今日はちゃんと仕事に行ったから偉いけど、月曜日なのに身体がくたくた。慣れないことはするもんじゃない。これからは反省してちゃんと計画性を持って行動しよう。私が立ってる場所はもうそこじゃない。

 

誰かと比べられたり、優劣をつけられたら、自分がダメなことや当たってることを必要以上に突きつけられるのは苦しい。私なりに自分の満足いくようにやってるのにそれがダメみたいな言い方されると、何も言えないし。嘘もたくさんつかなくちゃいけない。誰かに褒めてもらいたいわけでも、認めてもらいたいわけでもないけどほっといて欲しいんだよね。

私は私の好きな世界とか、好きなものがあって、そういうのって人それぞれ違うんだから。そっとしておいて欲しい。

好きじゃないものを好きじゃないって言いたいし、好きなものは好きって言いたい。それなのにいろいろ我慢しないと成り立たないことたくさんあるから、おかしいよね。仕事じゃないのに、まるで仕事してるみたい。誰かのご機嫌をとるために生きてるわけじゃないのに、もっと報われたいな。疲れたな。

すごく怖い思いをした。反射的に体が動いて、呼吸が早まりいろんなことが真っ白になって。頭の中で繰り返される恐ろしい出来事が自分を蝕んだ。人が近くに居るだけで恐ろしくて、誰にも触れられたくない。

 

目もよく見えない、心臓のドキドキがずっと耳を打つ。安心を求めてるのにどこにもなくて、恐怖と嫌悪感と、拍車をかけるように自分自身の存在も疎ましく思う。

優しく介護され駆け込んだ電車内のトイレの中でひたすら蹲ってた。外に出ることができなかった。おじさんがポツリと「甘えられるときは、甘えなさい」と優しい声をかけてくれた。無理をすれば余計に酷くなるんだから、今は自分の身を案じてと優しく背中をさすってくれるおばさん。他人の優しさに触れた瞬間だ。

 

あの頃のように、また残り続けるのだろうか。似たような状況や人を見るたびに脳裏に焼き付いた記憶が蘇るのだろうか。

 

人は本当に何かを恐れたり、怯えたり、反射的に自分を守るための機能が備わって居るんだね。私は神経が細いから、ダメなことばかり。些細な衝撃が大きな恐怖に変わる。大丈夫と念を押しても、膨らみ上がるものは止められないから。

 

ダメだ。

あーあ。なんか無性にいろんなことが気持ち悪くなってしまう。誰かとキスをしたりセックスしたりすることが無性に怖い。仕事から帰る一人の夜道で怖くて少し蹲って、一呼吸置いてからまた歩き出す。

 

今日は彼に会うために、久しぶりにきちんとお化粧をしてコンタクトをした。服装もいつも通りの汚れたデニムとスウェットではなくて、タートルネックのワンピースを着て。彼と会うために気持ちをしゃんとさせて。

すると、職場の人が休憩の時に「やけに大人っぽいですね今日!いつもと雰囲気が違う!」と言ってくれて。もう一人の人には「二度見しました思わず」って言われるくらいに、装い一つで人の印象は変わるみたいで。いつもどれだけだらしない格好をしているのかな〜とヘラヘラ笑うしかなかった。

「彼に会うために気合い入れてきたんです」というと「一緒に暮らしてたのに、泊まりに行くだけで服装変える意識素敵ですね。好きなんですね、彼のこと」と同期の人にホヤホヤされてホヤホヤなった。素敵だなって言われるのは素直に嬉しいすごく照れる。

きちんと口紅を引いて、睫毛をあげてマスカラをたっぷり塗り。薄くアイラインを引いて。仕事が終わる頃にはクタクタで、花粉にやれた為にヨレヨレになった化粧が悲しい。彼の帰りは遅いけど、あまり眠れて居ないけど、今日は頑張って帰りを待とう。

 

 

昨日は全然眠れなかった。朝も起きれず寝坊をして、意識がたるんでる。でも今日のお弁当のおかずは唐揚げだったからお昼ご飯までの時間が待ち遠しかったな。

 

 

 

きっと誰も知らないけど、日々どこかで我慢したり。誰にも気づかれないように誰かのためを思ったりしてる気持ちが届いた時は、少し報われた気にならね。日々辛いこともあって、わたしはこんな風に人間関係を築くことが幸せなのかな?と思うこともあるけど。人それぞれ、ハマる形がそこにあるから。誰かの言葉じゃなくて、自分の正しさを振りかざしてみてもいいのかな?と思ったよ。報われたよ。ありがとう