コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

最近は仕事から帰ると疲れてすぐ布団に入ってしまう。そんなに忙しいわけでは無いけれど、体を起こしてることが億劫で布団に入る。

 

耳の中がずーっとごろごろ言ってて気になり始めた二週間。原因を調べると耳の中に虫が入っているとか中耳炎の前兆だとか、恐ろしいことがたくさん書いてある。

 

仕事でフォトショに奮闘して出来上がったものをワードプレスに投稿したら一向に反映されず。努力が水の泡になり、先輩と2人で「クソですね」と嘆いていた。

わからないことを教えてくれる少し先輩の橋本さんは優しくて丁寧で、この人の彼女は幸せなんだろな、いつも優しく包み込まれて甘やかされてるんだろうな勝手な想像をして。

 

友達と遊ぶ約束はなぜか無くなり、早々と家路について化粧を落としたら布団の中へ。昨日の晩の騒ぎを思い出して笑いがこみ上げてくる。いま思えば楽しかった。

しごおわ

通信制限がかかって何もできないし、持ち歩いてる本は面白くないから全然読んでない。いざという時に本を持ち歩かないくせに、どうでもいい時に重い荷物を背負ってる。

 

今日は仕事でバカな失敗をしてしまった。そのおかげで仕事が増えて、ヒーヒー言いながら業務を遂行した。丁寧にやってるつもりでも見落としがたくさんあって、反省ばかりじゃない次に繋げたい。

一緒に休憩をとった同期のお兄さんとお姉さんは相変わらず頭がおかしくて面白いな、平和だな、と北海道のお土産白い恋人を食べながら思っていたんだけど。

 

お金がないから今日は何も食べなかった。久しぶりに着たMA-1はいつも着てる黒いコートよりはるかに暖かい。ライナーがしっかりしてるから腰まですっぽり隠れなくても暖かい。

 

今週中には彼との二人暮らしが終わるんだな。やっぱり寂しいなって、日を増すごとに、抱きしめられて眠るたびに思う。一人暮らしは楽しみだけど、一週間は鎌倉から職場に通わなくてはいけないと思うと、涙が出そう。

帰ったら荷物をある程度まとめて荷造りしないといけないのに、帰ると何もしたくない。

 

今日も朝はいつもより10分多く寝た。最近朝が全く起きれないし「あー!」って気持ちを抑えながらシャワーを浴びてる。それでも支度が終わる頃には元気になって「行ってきます!」って元気な声を出して出かける。

 

たまには違うアウターでも着て気分転換しながら出かけないと、毎日がマンネリ化しちゃう。こういう時にオシャレとか化粧って日々に色を乗せてくれるんだな。

 

最近は毎日同じ化粧だし、肌はノータッチで出かける始末。

 

一人暮らしして余裕が出てきたら、お弁当作っていきたいし、ネイルもしたいし(爪折れるから)、土日も馬車馬の如く働いて借金全部返済したいな。

いろんな愛の形や人の価値観や、優しさがそこにあるんだろうな。それでも私は自分の足で生きていかなくちゃいけないのだよね。

でも、今日もらった言葉の中で「別に自分から辛い道へ進まなくてもいいんだよ。辛いことは必然的に訪れるんだから」という言葉の優しさに立って歩ける気がしなかった。それはとても、いい意味で。

 

いろんな人の言葉があって、でも真実を知っているのは私だけで。人の言葉を受け止めながら自分の進むべき道へひたすら進むしかない。私は自分の人生へのレールをひたすら壊れないように走り続けるだけなんだ。

 

物件の審査はかなり厳しくて、保証人になった父の経歴はなかなか凄まじいものだ。それは誰かを恨むべきものじゃないんだよ。だから。心身に受け止めて答えが出るまで待ち続けることしかできない。借金とカード会社のブラックリスト経歴と、所得税を払っていない保証人をつけて私は家を借りれるだろうか。保証人になるのは父親か母親でしかない。自分がどんなに頑張っていても、結局ぶち当たる壁はそこなんだ。

別にまともな父親が欲しかったとは言わない。彼は彼で一生懸命家族を支えてきた。どんなに迷惑を被っても、殴られても、泣かされても、それでも親なんだ。

 

友達言ってた。「もしも自分の親を許せなくて和解できないままだったら、きっと自分も子供に同じことを繰り返してしまう。親と和解して仲良くなって、理解してあげることっていうのは大人になるっていうことで」きっとそこで親を許してあげることで、自分に子供ができた時に同じことを繰り返さずにすむのだろう。

もしも、私に子供が出来たら自分の親にされてきた仕打ちと同じことを繰り返したくないと常々思う。それは、親を理解し和解して許すことで初めて心の中でほとぼりが冷めて。親への敬愛と共に心から自分の生み出した命を愛せるのだろうと思う。

 

今日過ごした時間はあまりにも優しすぎて、心地が良すぎた。それでも私は彼らの時間軸の中で生きているわけではなくて、自分のいま置かれている時間軸の中でもがきながら生きている。いろんな人にいろんな言葉をもらった。それは優しさなのか甘えなのか正しさなのか分からないし。その答えを決めるのは私自身なのだろうと思う。済んでから全ての答えが分かるのだろうか。あの頃のように、すべてのことが終わって初めて間違えていたことに気付くのだろうか?未来のことは誰にも分からない。もしも事前に気付くきっかけがあったとしても変わらずに進み続けるだろう。泣いているだろうか笑っているだろうか?

先のことは分からないけど、それでも今は後悔しないように生きていかなくちゃいけないから進むしかないから自分を奮い立たせるしかない。誰に間違っていると言われようとも自分が曲げられないものが一つあってもいいんじゃない?だから、負けない