コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

自己の中の柱

今のわたしは八割がプライベートに重きが向けられていて、些細な物事のもつれを許容できる代わりになるものがない。

もし仕事を始めたら、私は仕事のことを考えるだろう。きっとたくさん勉強をするだろう。仕事に重きを向けれることができれば、人生は楽になるだろうか。いまの私は「彼氏がいなくては死んでしまう」状態で完全に悪循環になっている。誰かを思う事や好きになることは悪い事ではないけれで、そればかりに気持ちが蝕まれてしまうことはあまりいい傾向とは言えない。きっとこのままでは自分自身が疲れて死んでしまう。

仕事を始めたら、仕事のことを考える時間が増えるだろう。そうすることで、少しずつプライベートな時間からいい意味で解放されて、いい刺激になるかもしれない。仕事という逃げ道が私には欲しいのかもしれない。それが全てではないけれで、多少そういう気持ちは含まれていると思う。

私が考えていることはいつもプライベートのことばかり。狭い世界の中で私は一喜一憂しながら生きている。このままでは息苦しくて、いつか窒息死してしまう。そのためにも私は新しい世界へと足を踏み出さなくてはいけない。

夢中になれるものがあれば、きっと気持ちも少しは楽になるだろう。些細な感情のもつれも許容できるだろう。仕事とい自分のもう一つの逃げ道を必要としているのかもしれない。他者という曖昧な存在に自分の芽を植え付けるよりも、まずは自分自身の柱になるものをしっかりと用意しないと他人恋愛なんてできないだろう。

私は自分の中の柱が存在しないばかりに、他者という不確定な生き物を柱にして寄りかかって生きてる節があった。その柱がなくなってしまえば、私は途方に暮れて行き場を失い「死」という逃げ道へと歩いていくばかりで。

本当に大切なことは、自分自身の柱を他者ではなく自分の中で作ることが大事だったのだろうと思う。私はあまりにもおぼつかない足取りで他者と向き合っていた。仕事という大きな柱を軸に自ら地に足つけて立てるようになれば、プライベートで問題が起こったとしてもしても自分の柱に寄りかかればいいのだ。

私は、いままであまりにも不確定なものばかりを自分の中で柱にしすぎた。だからこそ、些細なことが大きな問題に繋がってしまうのだ。私の人生の成り立ちは好きな人との暮らしだけで出来上がっているわけではない。きっと他にも大切なものが多くある。

恋は盲目とでもいうべきだろうか。あまりにも、視野が狭すぎて向き合うべき大切なものさえも疎かにしていた気がする。愚かだ。

もちろん好きな人は好きで愛しているけど、人生の成り立ちはそれだけで出来ているわけではないことをいつの間にか忘れてしまうことがよくある。

年をとるごとに、自分の中で誇れるものが少しずつ失われ、その不安を埋めるべく他者を利用して寄り添うことで現実逃避することが多々あった。寂しいと好きという感情は全く別物なのだ。いろんなものを履き違えていた。哀れだなほんとうに。

 

自分の気持ちを他者に委ねて生きすぎたかもしれない。これからはもう少し自分の気持ちと素直に向き合って、地に足つけて立てるように自分の中の新しい柱を立てよう。他者に気持ちの全てを委ねることではなくて、自分自身の柱をしっかりと支えながら寄り添って生きていくことが理想的なのだと思う。

 

 

私は生きる

明日は入社オリエンテーション。人生はじめてのオフィスワーク。社会人という名に一歩近づく瞬間。

なにもない、生産性のない私は、それでも曖昧な自分の中の何かを信じて生きてきたつもりだった。それは自分の中のものを信じることではなくて、ただ逃げてばかりの人生だったのかもしれない。何一つとして長続きするものはなかった。仕事を初めても1年足らずでやめてしまうことが多かった。いろいろな理由がある。それは周りの人か見ればただ逃げているだけに過ぎないかもしれない。

病気という都合のいい言葉を使ってずっと逃げ続けてきた。目指していたものを手放したあの時から、私の中の情熱は死んで、何を思って生きていけばいいのかわからなかった。あの頃はいつだって輝かしかったであろうし、24歳になったいまでも、あの頃の自分を振り返って見れば「かっこよかったね」って言える。

人はいつだって変化するし、時には妥協という言葉を受け入れながら生きていくために歩き続ける。私は少し休憩時間を長く取り過ぎたのかもしれない。

大人になっていろんなものが見えてきて、新しく多くの人々と関わりを持つことで、自分の不甲斐なさや弱い部分がたくさん見えた。他者の評価が必ずしも正しいものだとは限らないけど、誰かの正論は泣きたくなるほど痛いものばかりで、自分の薄っぺらさや中身の無さを突きつけられた。だからといって気を病む必要はないと思うし、私自身がいまやるべきことを突き進むしかないと思えたのは少し成長した証拠かもしれない。

 

今まではずっと生ぬるい人の温かさに触れて生きてきた。人に否定されてばかりの人生の中で、少しずつ自分を肯定してくれる人が増えて「貴方にしかない魅力がそこにあるよ」という誰かの甘い言葉に、根拠のない自信を抱いて生きてきたのかもしれない。その言葉を歪んだ自らの自己承認欲求で消化して、無駄にしてきてしまったことも多くあったかもしれないと思う。

24歳を迎えて、ふと顔を上げてみると私にはなにもなかった。誇れるものも、一人の人間として生きていくスキルさえも乏しく、この先どうなってしまのか?という不安に包み込まれ腰が重くなるばかり。今まで何をして生きてきたのか?と本当に生きる上で大切なものをたくさん見落として時間だけが通り過ぎていってしまったのかもしれない。

再び過ぎ去って時間を取り戻すことはできないけど、いまわたしが出来ることは目の前の掴み取ったチャンスを無駄にしないこと。逃げてばかりだった私だけど、これからは自分なりに向き合っていく姿勢でいろんな物事を頑張っていきたい。

 

 

日々、勉強させられることはたくさんある。私は人より劣っているし、周りの同年代に比べて多くの物事を知らない。一人の人間としての欠点が多い。だからこそ今からでもたくさんのことを学ぶことができる。

世間の風当たりは強いし、馬鹿にされることもたくさんある。悔しくて泣いてしまったり、不安に思うこともたくさんある。過去は事実でしかないから、これからの未来で新たな変化を生み出していけばいい。過去を悔やんでも前には進めないし、未来の自分に全てを委ねるのではなく、今の自分に期待をしよう。

馬鹿にされるのは腹立たしいし、突っぱねらるのも否定されるのも怖い。それでも人は歩き続ける強さを持たなくてはいけない。

しょうもないプライドを振りかざして、防衛心を振りかざして生きて来たかもしれない。脆すぎる自分という武器は他者の正論で簡単に崩れて壊れてしまう。

馬鹿にしてきたあの人も、本当は私よりずっと立派だった。私が馬鹿にできるような存在じゃなかった。みんな力強く生き続けている。私は不器用で変なプライドも高くて、精神が弱いかもしれないけれど、それでも私いま自分ができることをやっていくしかない。どんなに誰かに馬鹿にされても、いまできることをやらない理由にはならないよ。だから負けたくないんだ。誰かの言葉で踏みつぶされそうになっても自分の弱い心に負けたくない。

 

 

 

 

 

まだ右も左もわからなくて不安なことはたくさんあるけど、応援してくれる人がいることは心強い。

お母さんに仕事の報告をすると「しおりは真面目だからたくさん勉強して、新しい仕事も頑張れると思うよ」と応援してくれた。

周りの人が背中を押してくれるから、わたしは頑張れる。今まで逃げてばかりの人生だったけど、しわ寄せを食らうのも自分自身で。自分が生きやすくなるような道筋を立てるのも自分自身なのだ。これからは未来の自分のために、少しでも歩きやすくなるように道を補正してあげる努力をしよう。向き合うこと、立ち向かうこと。

今は抱負として掲げているだけだけど、いつかそれを実現できるように。真実に変えられるように頑張ろう。

 

いつだって口だけだった。一過性の躁状態に酔いしれて、未来の私にばかり期待をしては何一つ叶えることはできなかった。今年は自分の抱負を実現できる年にしたいな。きっと逃げたくなることも手放したくなるものもたくさんあるけど、めげずに突き進んでいくことで、継続することで新しく見えてくるものがきっとあると思う。

私はちっぽけで弱くて不甲斐ないところばかりだけど、それでも幸せになりたいという気持ちだけは変わらずに持っているから。自分がもうすこし生きやすくなるために、幸せを掴むために頑張ろうと思うんだ。結果を残せるように。

 

あなたの記憶の中に私はもう居ないけれど

なかなか実家に帰ることもできず、タイミングもあってしばらくの間祖母に会うことができなかった。

今年は彼女に会いに行こうと、「明けましておめでとう」を伝えに会いに行った。久しぶりに見るおばあちゃんは随分小さくなっていて、あの頃の活気はもう失われていた。痩せ細ってしまった体、冷たい手。

お土産にはおばあちゃんが大好きだった茶屋のプリンを買って行ってあげた。それを少しずつスプーンですくって口に運ぶと「すごく美味しいね」とゆっくり咀嚼して飲み込んでいく。

 

「しおりだよ?久しぶりだね。なかなか会いに行かなくてごめんね。」

「だれですか?わからないわ」

彼女は少しよそよそしい態度で、他人行儀なそぶりを見せた。

もう彼女の記憶の中に私は存在していなかった。

 

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生まれたときからずっと一緒だったおばあちゃん。色んな映画や音楽、小説をたくさん私に教えてくれた。幼い私の無理なリクエストにも頑張って答えて一緒に遊んでくれた。

わたしが中学生を境に、彼女はアルツハイマー認知症を患ってしまい徐々に彼女は変わってしまった。思春期というのもあって少しずつ溝が出来てしまい、祖母のことで頭を抱え、家族全員がノイローゼになってしまうかと思うほどに介護に悩んだ日々もあって。家族共々、きっと祖母も含めて精神的に疲れ切ってしまっていた。

大好きだった祖母も、いつしか家族の厄介者となってしまい、追いやられてしまうような形に。それは今思うと仕方がないことだったと思うし、それ以上に悲しいことだったと思う。

 

私が19を迎える手前だったろうか、祖母が老人ホームへと引き取られることになった。

 

それからというもの、家を開けることの増えたわたしは祖母に会う機会が段々と指で数えるほどになってしまった。

父や母は熱心に彼女のもとを訪れ、度々近況報告などを聞いて。時間があれば彼女のもとへ訪れた。少し距離の出来た私たちの関係は少しずつ溝を修復していくように祖母に優しくすることができて。穏やかな時間がそこには流れていた。

 

それでも残酷にもアルツハイマー病は彼女の記憶や精神を蝕み、どんどん色んな記憶が霞んでいってしまった。誰にも止めることはできなくて、久しぶりに会いにいけば誰が誰だか分からなくなってしまうことも度々あった。

それでも大きな声で自己紹介をすれば、思い出したように、にっこりと微笑んで「来てくれてありがとう」と言ってくれた。

 

少しずつ、ゆっくりと色んな人の記憶が消えて無くなり祖母はいつかひとりになってしまう。残酷なまでに、様々な思い出を記憶から消し去られ一人旅立っていく。

 

今年で90歳の大所帯。90年も人生を生きるとは、24歳のわたしには想像もできない時の長さを彼女は生きて来た。

老い先短い人生の中で、彼女は絶えず色々な物事をリセットして旅立つ準備をしていくのだろうか。

 

父の母を思う気持ちや、愛する母親に少しずつ忘れ去られてしまう締め付けられそうな恐れを押し殺して優しい笑顔で接するその姿は胸が苦しくて見るに耐えなかった。

それでも一生懸命、今ある時間を消化していくように彼は母親に話しかけ続ける。「元気そうでよかった」って

 

 

 

もっと優しくしてあげればよかったって。もっと感謝して、もっとごめんなさいをたくさん言いたかったって。あなたの記憶の中にわたしが残っていた内に伝えたい言葉がたくさんあったのに、もう届かない。

失ったものは二度と戻っては来ることはなく。

あなたが私の名前を呼んでくれる日はもう訪れることはないんだよね。

ごめんなさい、おばちゃん苦しいです。

 

あなたに会えるのも、あと片手で数えるほどしか残されていないかもしれない。再び顔を合わせれば、あなたの中で私は「知らない人」として認知されてしまう。

それでも、私の記憶が確かに続く限りはあなたのことを忘れずにいたい。あなたが生きている限り、残された未来の中で新しい時間を築いていきたい。あなたの記憶に残ることが出来なくても、その一瞬だけは二人にとっての確かな事実として其処に刻まれるから。

 

「冷たい手をしてるね」と握ったわたしの手を強く握り返してくれた感触はあの頃と何も変わらなくて泣きそうになってしまった。

 

大好きだよ、おばあちゃん

たくさんの素敵な思い出と出会いをありがとう。 

 

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