コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

むかしばなし いかり かなしみ

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Macから懐かしい写真が出て来た。2年前の今頃の写真だ。こんな写真をいつの間に撮ってたのかな?と全然記憶にない。

あの頃も今と同じように、目に焼き付けるほど物件の掲載を見て死に物狂いで一人暮らしを計画していた。今と同じように恋人と暮らしていた頃で、彼との生活に窮屈さをぬぐい切れずに自分の城を手にした。

どうして手放してしまったのだろうか。あんなに毎日は輝かしくて、楽しかったはずなのに。小さな糸のもつかれから少しずつ絡まって解けなくなった固まりは大きな傷を負わせた。

これでもかというほど腕を切って、仕事を休まなければ行けなくなったら。病院に強制的に連行されて、親に告げ口をされたり。付き添ってもらった途中で彼は帰ってしまったりした。

「お連れの方は先に帰られたようですけど?」という医者の言葉が当時の私の胸を割いた。

 

何がどおしてそこまで自分を追い込むほどあの男に執着していたのだろう。いつしか心は音を立てずに壊れて爆発してしまった。たくさん泣いたね。

 

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写真を撮られるのがものすごく嫌いだった。真実を見たくないから。それなのにしつこく付きまとう彼は写真を撮り続けた。懐かしい。心の底から撮られたくないという気持ちが被写体から滲み出てる。

写真を撮っては馬鹿にしたように笑う彼が嫌いだった。自分のプライドを捨て切れずに、現実から目をそらしていただけだったのかもしれない。事あるごとに隠し撮りする彼は、私の写真を見ていつも馬鹿にしたように笑った。いつだって面白おかしい生き物でしかないのか?と存在意義さえ疑った。愛されたいし、愛したいから一緒にいるはずなのに、どうして笑い者になって生きてるのだろうか?と。

 

いつだって私は彼に馬鹿にされて、傷付いて、本当にもうボロボロになるばかりでも、それでも愛されたくてしがみ付いていた。事あるごとに声を荒げて怒ることは沢山あったけど、それでも必死にしがみ付いてた。何も残るものなんてそこにはないのに。

終わってみれば「馬鹿らしかったな」という感想しか浮かんでこない。何も得られなかったし、そこには何もなかった。愛情も思いやりも善は存在しない自分勝手なオナニーの見せ合いでしかなかった関係だったと思う。  

 

いつだってお互いに身勝手だった。人を愛することが不器用だった。結局「寂しい」という気持ちの延長線上で男と女という授かった性が行き場を失ったモノ同士鉢合わせて手を打っただけの関係だったね。

 

面白くもないギャグや障害者のような身振りをして、真夜中に大声で下手くそな歌をうたいナイスを響かせて。仲の良い友人には自分の痴態を晒して怯えられていた。真っ当に生きてきた彼女に押し付けるようにして寺山修二の実験映像ワールドを見せつけたり。犬のように発情しては自分の欲だけを満たすワンマンな性行為。美味しくないご飯。下手くそな絵と歌と、他人の真似事をした映像作品。

表現者であり続けたい彼は、それでも必死に生きていたけど、素人の私から見ても才能はゼロだと思う。何かから逃げるように「これしかない」と作品を絶え間無く生み出すも、オリジナリティに欠けたものばかりで。影響されるばかりで、彼は彼自身の実をつけるものを何も生み出さなかった。諦めの悪いそれらは膨らむばかりで、いつか芽が出ずに死んでいくのだろう。

自分の愚かさから目をそらして、他人を卑下して生きていく。思いやりや というもの知ることなく「その場しのぎの温もり」に身を浸してるばかり。本当に人を愛するということを知らないのは貴方の方だよ。

努力もせずに手当たり次第、誰でも良いから自分と寄り添っているつもりの人を探して。相手に対する思いやり努力もせずにワンマンに、寂しさを紛らわす道具として使い果たし捨てられることの繰り返し。哀れだよ。

 

こんなに人を嫌いになれるんだな、人って

 

寂しい人を見つけては餌食にして、飼い殺しにすることな繰り返し。正義を振りかざすわりには、自分の言動を改めることなく。本当に間違ったことにだけは目を背けて理想論だけ追い求める。その理想論は、世の中を変えるためじゃなくて自分が気持ちよく生きるため。それでも正義感を振りまいてるから腹立つんだよ。もっと自分の汚いところ見せてよ。

 

他人の辛い人生を追い求めてドキュメンタリーを撮るよりも、自分を題材にして「インドに行けば人生が変わる!」と豪語した意識高い心持ちの人間が、寂しさを拭うために風俗に身を落として、不倫をして、うだつの上がらない映像作品をいくつも生み出してるって真実の方がノンフィクションなんじゃない?

他人の真実よりも、あんたの真実の方がよっぽど求めてる作品の材料になるんじゃないの?

 

 

 

 

 

今でも私は、彼にあまり幸せになって欲しくはないと思っている。一瞬でも愛した男にそんなことを言うのは、子供じみているかもしれないけど。彼にだけは、未だに「ただ、ただ幸せにはなって欲しくない」

そして彼はきっと幸せにはならないだろうと思う。もしも彼自身の生き方やそぶりを見直すことができたら、幸せになれるかもしれない。でも30過ぎた大人の精神性を捻じ曲げられるほどのモノはなかなか現れないし、人はそう簡単に変わらないでしょう。だから私は幸せになって、彼に復讐しようと決めた。

 

ふと思い出したように、出て来た写真を除いて気持ちが煮え繰り返る。本当に、あの人は幸せになって欲しくないという思いが募る。

彼自身も被害者なのかもしれない。ああいう風にしか生きれないようになってしまったのは、決して彼自身の問題ではなく環境が巻き起こした産物なのかな。

 

彼の大好きなインドに行って、いっそのこと死んで欲しいな。幸せになって欲しくないのが本音なんだよね、ごめんね。

 

芽が出ずに、それでも表現者として諦めることなく突き進んでるっていう表向きのあんたより、寂しがり屋のちっぽけで愚かな蓋を開けたあんたの方がよっぽど面白いよ。

 

世の中はあんたの理想論にも、健気な生き様にも興味ない。もっと汚くて素直、どうしようもないところのほうが面白いよ。