コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

苦しい

きっといまにも死んでしまうのではないかと、見えない紐で引き寄せられるように、捕まったふりをしてここに止まっている。いつまで私はこの土地に居着いてしまうんだろう?全てが振り出しに戻ったかのように。

仕事はしばらくお休みをもらった。深く切り刻んだ腕の傷はまだ癒えず、動かすごとに少しずつ痛みが走るみたい。職場のオーナーに休みの電話を入れると意図的な溜息とやむ終えないという大人の対応に気持ちを痛めながら今日も仕事を休むことを決めた。
母も父も私を絶対に責めない。それらが彼らの答えなのか、エゴなのか、きっとすごく悩んでるんだろうと思う。腫れ物を触るようにひたすらに優しい肯定で包み込む。(縛り付ける)本当の死を迎えてしまうことを恐れるように。その優しさの皮を被った恐ろしい悪魔はぴったりと隣に寄り添うようにして、暖かい手を差し出して、私はその手を握り返してしまう。

父は言った
「海を見に行こう。そして美味しいものを食べよう」
涙が出た。嗚咽するほどに涙が出て、両手で顔を全て覆った。残酷なほどまでの優しさを生み出してしまった自分を憎んだ。
それは自分自身の状況が生み出した形式的な優しさであって、その温かみに涙が溢れた。
「どうした?やっぱり行きたくないかな…」
父は不安そうな顔で顔を覗き込む。首を横に振って、泣いてなどいないというポーズをとり揚げたてのポテトフライを食べる。急いで放り込んだポテトは目の前に用意されたケチャップのことさえ目も触れない。父は私の頭を優しく撫でると少し困った顔で「よし、そうしよう」と提案を遂行した。

誰かの悲しみや苦しみが必然性を起こして他人の心の温かみを造りだす。その形式的な流れがあまりにも暖かく心が苦しくなる。

私の不甲斐なさで、誰かの心が動いたり、誰かが心配したり、誰かが傷ついたりすることが本当に恐ろしいことだということ。それは自分自身を意図的に傷つけるために作り出した残酷な世界よりもずっと残酷だ。