コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

アンサーを返せない

いつだって答えのない現実を愛しているはずなのに、でもそれって自分を苦しめてるだけじゃない?って思っちゃうね。

答えがあるものを恐れてるのは、それが自分にとって気に食わなかった時にうまく処理できないからだろ?知ってんだよそんなこと。

 

仕事でも、プライベートでも、自分の身の振り方が本当に在るべき姿なのか怖いよ。でもそれを第三者に否定された時、ちゃんと「承知いたしました」って適応できるの?って思っちゃうね。

 

そんなことばっかり繰り返してるから、1人で自問自答して、誰とも理解しあえずに孤独だ!とか傲慢垂らして泣いてるのかな。

 

父親によく言われる「お前は人の話を聞かない」って、大人になってひしひしと感じるよ。でも人の言葉には、真意が隠されてるみたいで怖いでしょ。自分の宗教を信じて生きてるはずだし、それってただ甘えたいだけでしょ?全部わかってるふりして、楽したいだけじゃん。

 

常にぐるぐるしてるよ。

本当にこのままでいいの?もっとちゃんとするべきじゃない?って。それでも、アンサーを返せない自分はいつまでたっても成長できない。Qばっかりが増えて、何もとならないまま時間が過ぎる。

 

世の中の変化とか、周りの人がキラキラしてる姿とか、それをまるでご隠居してる老人のような目で見てる。

私だって、まだ若いし、これからどんどん進んだら、戦ったりしなくちゃいけないのに。負け戦にだって、勝てず途方にくれてる。

 

誰かのアンサーを、私自身へのアンサーを、ちゃんと返していきたいな。

圧倒的な加害者

どんな時だって、私が加害者になることを知ってるよ。自分の怒りだって、元を辿れば自分が悪いくなっちゃうでしょ。だからプライベートの事情ってあんまり好きじゃない。悪者になるくらいなら、いっそのこと器用に無の感情を装うことができたらよかったのに。なんでこんなに我儘なまま大きくなっちゃったの?その裏側にある本音とか、言葉に言い表せない気持ちも全部悪者で片付けられちゃうでしょ。

誰かが人を殺す心理には必ず意味があるし、悪さをする裏側には寂しさや憤りが隠されているのに、どんなことも事実しか見えない。傷付けられた人間がいつだって勝つと思っている。圧倒的な被害者に勝てるものは、誰もいないんだから。

 

私だって、自分の悪が0だなんて思わない。100だと感じてるけど、その裏側にある溝を埋めたいだけ。要約するとそれって傲慢なのかもしれない。私も、私も、って繰り返される論議の中で一番も二番もないのに。知らぬ間に順位がつけられて、下位になる人は悪者になる。いまって本当にそんな気分なの。わかる?

 

自分があまりにも我儘で傲慢なのは、己の愚かさを他人に知ってほしいから。私も頑張ってるよ?っていうアピールじゃなくて、ただ何かに憤りを感じてるという事実を認知してほしいだけ。その手段を伝えるスキルが不足してる。

自分がやってることも、喋ってることも、全部正しさの裏側に晒されてるようで嫌気がさすよ。本当は違何!って何度も心の中で叫んでるけど、それって無力であることを露呈してるだけ。だって心の中の言葉なんて、誰にも届くはずがないから。

 

他人にすべての現状を認知してもらうことは難しいし、それを求めるのはあまりにも傲慢だよ。だから少しでも楽しくしようとしてるはずなのに、それさえも悪に見える。

 

私は被害者じゃないし、圧倒的な加害者だから、いつまでたっても声は届かない。

 

仕事しよ

強い男が好き

これまで付き合ってきた男はみんな、ナヨナヨしてるか、飄々としてるか、男っていう感じの人は少なかったな。昔は色が白くて細い人が好き?という錯覚を持ってたけど、本当は強くて、自分をちゃんと守ってくれるような男性が好きなのかもしれない。

これまでの人は、初めて付き合って7年連れ添った男以外、誰も私を守ってくれなかった。自分が可愛くて愛おしくて、自分を可愛がるために私を可愛がってくれてたんだろうな。今の人は、ちゃんと私を守ってくれる。有難う