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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

しごおわ

通信制限がかかって何もできないし、持ち歩いてる本は面白くないから全然読んでない。いざという時に本を持ち歩かないくせに、どうでもいい時に重い荷物を背負ってる。

 

今日は仕事でバカな失敗をしてしまった。そのおかげで仕事が増えて、ヒーヒー言いながら業務を遂行した。丁寧にやってるつもりでも見落としがたくさんあって、反省ばかりじゃない次に繋げたい。

一緒に休憩をとった同期のお兄さんとお姉さんは相変わらず頭がおかしくて面白いな、平和だな、と北海道のお土産白い恋人を食べながら思っていたんだけど。

 

お金がないから今日は何も食べなかった。久しぶりに着たMA-1はいつも着てる黒いコートよりはるかに暖かい。ライナーがしっかりしてるから腰まですっぽり隠れなくても暖かい。

 

今週中には彼との二人暮らしが終わるんだな。やっぱり寂しいなって、日を増すごとに、抱きしめられて眠るたびに思う。一人暮らしは楽しみだけど、一週間は鎌倉から職場に通わなくてはいけないと思うと、涙が出そう。

帰ったら荷物をある程度まとめて荷造りしないといけないのに、帰ると何もしたくない。

 

今日も朝はいつもより10分多く寝た。最近朝が全く起きれないし「あー!」って気持ちを抑えながらシャワーを浴びてる。それでも支度が終わる頃には元気になって「行ってきます!」って元気な声を出して出かける。

 

たまには違うアウターでも着て気分転換しながら出かけないと、毎日がマンネリ化しちゃう。こういう時にオシャレとか化粧って日々に色を乗せてくれるんだな。

 

最近は毎日同じ化粧だし、肌はノータッチで出かける始末。

 

一人暮らしして余裕が出てきたら、お弁当作っていきたいし、ネイルもしたいし(爪折れるから)、土日も馬車馬の如く働いて借金全部返済したいな。

いろんな愛の形や人の価値観や、優しさがそこにあるんだろうな。それでも私は自分の足で生きていかなくちゃいけないのだよね。

でも、今日もらった言葉の中で「別に自分から辛い道へ進まなくてもいいんだよ。辛いことは必然的に訪れるんだから」という言葉の優しさに立って歩ける気がしなかった。それはとても、いい意味で。

 

いろんな人の言葉があって、でも真実を知っているのは私だけで。人の言葉を受け止めながら自分の進むべき道へひたすら進むしかない。私は自分の人生へのレールをひたすら壊れないように走り続けるだけなんだ。

 

物件の審査はかなり厳しくて、保証人になった父の経歴はなかなか凄まじいものだ。それは誰かを恨むべきものじゃないんだよ。だから。心身に受け止めて答えが出るまで待ち続けることしかできない。借金とカード会社のブラックリスト経歴と、所得税を払っていない保証人をつけて私は家を借りれるだろうか。保証人になるのは父親か母親でしかない。自分がどんなに頑張っていても、結局ぶち当たる壁はそこなんだ。

別にまともな父親が欲しかったとは言わない。彼は彼で一生懸命家族を支えてきた。どんなに迷惑を被っても、殴られても、泣かされても、それでも親なんだ。

 

友達言ってた。「もしも自分の親を許せなくて和解できないままだったら、きっと自分も子供に同じことを繰り返してしまう。親と和解して仲良くなって、理解してあげることっていうのは大人になるっていうことで」きっとそこで親を許してあげることで、自分に子供ができた時に同じことを繰り返さずにすむのだろう。

もしも、私に子供が出来たら自分の親にされてきた仕打ちと同じことを繰り返したくないと常々思う。それは、親を理解し和解して許すことで初めて心の中でほとぼりが冷めて。親への敬愛と共に心から自分の生み出した命を愛せるのだろうと思う。

 

今日過ごした時間はあまりにも優しすぎて、心地が良すぎた。それでも私は彼らの時間軸の中で生きているわけではなくて、自分のいま置かれている時間軸の中でもがきながら生きている。いろんな人にいろんな言葉をもらった。それは優しさなのか甘えなのか正しさなのか分からないし。その答えを決めるのは私自身なのだろうと思う。済んでから全ての答えが分かるのだろうか。あの頃のように、すべてのことが終わって初めて間違えていたことに気付くのだろうか?未来のことは誰にも分からない。もしも事前に気付くきっかけがあったとしても変わらずに進み続けるだろう。泣いているだろうか笑っているだろうか?

先のことは分からないけど、それでも今は後悔しないように生きていかなくちゃいけないから進むしかないから自分を奮い立たせるしかない。誰に間違っていると言われようとも自分が曲げられないものが一つあってもいいんじゃない?だから、負けない

 

抜け穴の探し方 心の赤ん坊

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みんなどうして悲しいことがあったとき、変わらずに動き続けられるんだろう?立派だね。全てを投げ出すことなく、何があっても生きるために生活水準を保つことできる強さ。すごい

 

ってずっと思ってた。いつも悲しいことや嫌なことがあると、全てを捨ててもう二度と立ち直れないほど自分を壊してしまう甘えがずっとあった。でも、やっとわかったことは、みんな苦しいから動き続けているんだろうなってこと。立ち止まる方がずっと悲しくて、ずっと耐えきれないから、面と向かって悲しみと正面衝突するんじゃなくて逃げ道をうまく使って生きているんだろうなって。自然と。

私にはずっと逃げる場所がなくて、今ある全てのものを投げ出すことしか知らなかった。不器用だから、抜け穴を全部塞いで、悲しみに閉じ込められているばっかり。悲しみが明けた頃には、何もなくて全て振り出しに戻る繰り返し。せっかく前に進めた事実さえも振りほどいてリセットしちゃう。

 

今は違うな。ちゃんと自分の逃げ道も、心の抜け穴もあるもの。どうして、みんなが変わらずに動き続けることができるのか?やっと少しだけわかった気がするんだ。だから、不安にならなくても大丈夫なんじゃないかな?

 

賢く生きることはすごく難しいし、まだそのスキルは全然備わってない。きっと周りの人に比べて、私の前進するスピードはとても遅い。だから置いてけぼりになっちゃうし、馬鹿にされたり、傷つけられる事もたくさんあるよ。

それでも自分のリズムを乱さないようにやって行こう。何事も積み重ねなんだ。投げ出したらそこで終わってしまう。何か一つでもいいから、自分のリズムを掴んで進めてみようかね。

 

馬鹿にされても、貶されても、傷つけられても、それはとても悲しい事だけど。生きてるって沢山そういうことがある。ひとつひとつの刺激に涙を流していたら心が持たなくなっちゃう。「繊細」とか「感受性が豊か」って時には邪魔になる時もある。きっと必要な時もあるのだろうけど。自分の持ってるものをまだうまく出し引き出来てないから、失敗を繰り返してるんだけどね。

だからもっと強くならないかな?っていつも考えてる。もしも悲しいことや、凹むことがあっても立ち止まるんじゃなくて「よしやってやろうぜ」っていう強さがもう少し欲しいなって思う。今のままじゃ、多分これから先何十年も長い人生の中でうまく綱渡りできないから。

 

強くなるにはどうしたらいいと思う?っていつも考えてるんだけど、なかなか上手くいかない。一人になるといろんなことを考えてしまいがちだよね。

でも、一つだけ良かったことがあって。いま私は確実に動き続けてること。動き続けるってこんなに気持ちよくて、何かを無我夢中でやり続けるってこんなに楽になれることなんだなって初めて実感した。立ち止まってると嫌なことや不安がどっと押し寄せてくるけど、少し我慢して動き続けるだけで、気持ちが楽になれる。

「あ、私は、私のために生きようとしてるぞ」っていう事実がそこにあると嬉しくなる。誰かのためじゃなくて、自分自身のために努力をすることって一番気持ちがいいかもしれないな。

もちろん誰かのために努力をする事も楽しいけど、自分のために頑張る行為ってすごい有意義なオナニーみたいで。少しだけ安心する。誰かのためって理由だけで動き続けてると一人になった時に途方に暮れちゃうから。

自分のために動き続けると、これから先誰かとの関わりで悲しいことがあっても、頑張ってきた貯金が心を救ってくれるんじゃないかなって思うんだけど。一番大事なことさ、それを「本当に悲しい時」に思い出せることなんだ。だから練習を沢山する。いつくるかわからない本番に向けていつでも特訓なくちゃ。

本番は唐突に、いきなりやってくるからいつでも本番の意気込みで、取り組んでやろう!って思うの。そうすれば少し日々の積み重ねで鍛えられていくんじゃない?それに、そうすることで自分自身がホッとできるのも事実だから。

 

 

悲しみの本番に向けて、日々鍛錬してる。どんなに悲しいことがあっても二度と投げ出してしまわないように。

「人は永遠に悲しみ続けることはできない」ってお父さんがむかし言ってた。

悲しみは悲しみできっと鬱陶しく思う感情ではないけど、それに全ての身を委ねる必要はないから。お友達になるくらいの距離感でうまく付き合っていけたらいいのに。

 

自分の心の弱さがとても恐ろしく感じる。やっぱりこんなことを言っても、何かを一つでも失ってしまった時、変わらずに下を向きながらでも歩けるかなってさ。その時になって見ないとわからないけど。

本当はいつも自分が怖い。誰かじゃなくて自分が一番怖い。救いのない闇のマントに身を包んじゃって二度と光を拝まないと意固地になっちゃうところが怖いよ。今はこんなに穏やかに考えられるのに。何か大きな衝撃が起こると何も考えられなくなって体が動かなくなる。そしてもう二度と立ち上がることはできないと思い詰めて、淡々と時の流れを無心でなぞっていく。

 

いろいろ考えられる頭があって、こうしたほうがいいっていうアイディアがあるのに。衝撃を緩和するスポンジが全然足りないからその時だて本当に死んでしまう。

 

私はメンヘラじゃないよって笑ってるけど。見栄とかじゃなくて、そう思いたい願望だったり自分を奮い立たせる材料だったり。

でもあいつはどこかで息を潜めて、顔を出すタイミングを見計らってるのを知ってる。小さくなって息をしてる。虫の息かもしれないし、優雅に眠っているかもしれない。

 

誰かは病気じゃないっていうし、誰かは病気だからしょうがないっていうでしょう。でもその誰かの言葉に惑わされて自分の首を絞めてばっかりだった。「じゃあ、なんて言ったら100人が100人納得してくれるんだ!」って。心の問題だから、誰かじゃなくて自分がちゃんと向き合ってあげなくちゃいけない。

 

どっちだっていいんだよ、そんなことは。悩んでることに間違いはないんだから。時には耳を塞いでもいい言葉もある。

 

 

もしも息の根を止めることができなくても、できるだけ長く、穏やかに眠っていてほしいと思う。私がずっと子守唄を歌っていてあげる。ちゃんと見守っていてあげるから、安心して眠ってほしいな。

 

あ、そうだな。きっと「赤ちゃん」なんだ。きちんとお世話をしてあげないとぐずる。でも言葉を知らないからどうして泣き叫んでいるのかわからない。でも、付き合っていくうちにどうして悲しいのかな?今何を欲してるのかな?って分かるようになってくる。それはきちんと向き合ってきた時間の結果なんだね。

 

だから、そこで眠ってる私の悲しみや不安や、名前の付けられないそれらときちんと向き合って守ってあげなくちゃいけない。いつか一人で立って歩けるように。大きくなって言葉を話せるようになって独り立ちする日が来る。それがいつだかわからないけど。いま向き合うことをおろそかにせずにいればきっと健やかに穏やかに育っていく。

 

そうだ。赤ちゃんみたいなものなんだ。きちんと私が心という赤ちゃんに栄養を与えて、向き合って、培っていく時間が大切なんだよね。

 

憎たらしくて、可愛い赤ちゃん。繊細で弱くて一人では生きていけない。私が手を差し伸べてあげればいい。

仲良くしてあげればいいんだよね。