コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

疲れた体を癒すためならせめて温かいご飯を食べて心を癒そうと松屋に入るも、水が一向に出されず他人の飲みかけの水を飲んでしまい、やっと出て来た温かいご飯に安堵しながら箸をつけるも、隣のおっさんが鬼のクチャラーで気分が滅入ってしまい、食べても体は重くて結果的に「食べなきゃよかった」で終わるの苦しいな

 

疲弊

朝起きれば知らない男の子が寝てる。

まいにち知らない男の子を家に連れ込み、酒を飲んで、最後は一緒に寝て、朝になったら何事もなかったように解散してる。どこにも行くあてがない感情は亡霊みたいに成仏できないまま、わたしの周りをうろうろしてるよ。

 

どこに向かって走ってるのか全然わからない。仕事も楽しくないのに、仕事をしてるときが一番きもちが楽であることも事実。上司にボロクソ怒られたとしても、社内にいることが怖くて喫煙所で泣きながらサンドイッチ食べることも、すべてを許容できる気がする。

誰かの都合で動かされたり、裏切られたり、傷つけられたり、人間だから悲しいことはたくさんあるよ。でも一つの物すべてに感情の振り幅を背負わせると、キャパシティがすぐいっぱいになる。いまはコップになみなみの水を溜めて、もう溢れ出しそうなギリギリのところを歩いてるんだ。ある意味、それらがあふれ出ないよう器用に歩いてる証拠なのかもしれない。

 

来週はお盆休みだね。連休は鎌倉に帰って羽を伸ばして、すこし物事と距離を置きたいな。東京の生活は時間の猶予があまりなくて、いつもなにか追われている人たちばかりだから、見落としてる大事な世界がたくさんある。まずは忘れてきた大事なものを拾い集めるためにも、お盆はゆっくり家族がつくったうまい飯を食う。

4万円

握りしめてる40000円にはどれほどの価値があるだろうか。でも金は1円でも1円の価値があるし、1万円には1万円の価値しかないのは変わらないんだから。

そこに付加価値を付け加えるとすれば、いまに苦虫噛み潰して握りしめてるこの紙きれは、どんなモノより価値がある。与えられた対価と共に、身を千切ったその時間と、いろんな感情が蠢いてるただの金でしかない。

生きるって、そこそこ大変だけど、わたしはいま誰よりも強くて弱いから、大丈夫だね。