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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

華金

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マインクラフトのBGMを聴きながら夜を過ごしてる。今日は華金だ。お酒を飲みたいしポテトサラダを食べたい夜だと思う。それでもなんだか気持ちはコンビニに行くことへ拒否してるように思うからブログを淡々と書いているよ。

 

華金だっていうのに、20時に再配達を受け付けたヤマト運輸が運んでくれる荷物を絶対に受け取ってるやるからな!という変なプライドが働いたので走って直帰する。無事に自宅の前でヤマトのお兄さんと鉢合わせをし、息を切らしながらサインをしたんだ。そこまでして受け取りたかったものは、Bluetoothのイヤホン。ついにiPhoneのイヤホンを無くしてしまったので仕方なく購入することに。

特にこれといって音楽がないと生きていけないわけじゃないけど、東京の人混みに揉まれル時には、何かをかき消すように音楽が必要だったりするでしょう。それに、毎日、毎日、満員電車に揺られて上司に舌打ちされるために仕事に出勤するためにも、なるべく背中を押すものが必要なんだ。

 

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最近は電車の中で本をよく読んでることが多い。満員電車の椅子取りゲームから離脱して、電車の隅に居場所を置いて読書に励んでいるんだ。いつもちょうどいいところで駅についてしまうので、本を閉じで仕事場に向かう。出勤も退勤も、どちらにしてもあまり気乗りしないものだけど、小説の中の物語が盛り上がっていることは唯一救いだ。

もうすぐ今読んでる小説も終わってしまう。何気なく手に取ったその本は、昔読んだ別の作品の続編で。そんなことは一言も書いていなかったから知らずに手に取ってみると見覚えのある登場人物の名前。最初に出版されたであろうその作品は内容が短めのショートストーリーだった。それでも日々を消化していく読書の数々の中で胸を震わせる作品のひとつとして頭の片隅にのこっていたんだ。

それは夜桜を見に行った時だった。京王線沿いのなんでもない駅で、桜を見ようと言う話になって、仕事を終えてから京王線に乗り込み知らない街にぽつりと降り立った。待ち人が訪れるまではしばらく時間があったので、駅前をふらふらと散歩する。遠くのほうにぼやっと光る馴染みの看板が目に入ったので立ち寄る。相変わらずそこは立ち読みをする人々の群れができていた。彼らは人の気配を察知することに長けているので、後ろを通りかかろうとすると、漫画の世界に入り込みながらスッと身体を引いて道を開けてくれるんだ。なんだか不思議だけ昔からずっと、そういう人の気配を素早く察知して、世界に入り込んでいても無意識に行動に移せるブックオフ難民がかっこいいなって思ってた。

そこではいつも通りに百円コーナー 小説スペースに立ち寄る。本は絶対に百円のものしか購入しないって決めてるんだ。そのこだわりに対して、かっこいい理由なんてないけど、なんとなく百円の本は草臥れてて、好きっていうだけなんだ。それに、定価で買うとやっぱり経済的に高いな〜って何百円のものでも気が引けてしまう。百円という物の価値に甘えているんだろうな。

 

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そこで出会ったのがさっきも話してた小説だ。お気に入りの作家さんの名前を探して、まだ読んでないものに目を留める。裏表紙のあらすじは読まずに、この人の作品なら大丈夫(もちろん失敗することもたまにある)っていう安易な直感で三冊レジへと持って行く。そのうち二冊はあたりだった。

そして一番最後に取って置いた、ものすごく分厚い長編の小説を読み進める。心に衝撃が走ったよ。読み進めていくうちに続編なんだなっていう親をかんじながらページをめくる。長編ってどうしてもだれる部分があるんだけど、どのページに記されている言葉も全てのひとつひとつが瑞々しくて特別なんだ。特別って言うより、どのページでも大事な言葉が転がっていて、訴えかけてくる。気持ちを引き締めて、噛み締めて読み解くようなその小説に心が打たれちゃったんだよね。

いつも小説を読み終わる時はすごくさみしい気持ちになってさ、もうこれで終わりなんだなって思うんだけど。そいつは、そうじゃない。きちんと終わって行くんだなっていう安心感があるというのだろうかな。終わってもずっとどこかで続いているようなワクワクした気持ちがあるんだ。

多分、話の流れだったり。物語性としてそこまで面白いものではないけど、人の気持ちや言葉をここまで大切に、丁寧に、見落とさずに綴り続ける作者は素晴らしい人だと感動させられた。小さな単語や一説一説に隙がないんだ。彼女の作品は。

人はでかい石で殴ると死ぬ

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私は不機嫌なのに、洗濯機の調子はいいので、それだけで少し気持ちが楽になるな〜と自分の中で言い聞かせながら生きてる。

 

入社当初は優しかった専属の上司も、いつの間にか彼女のイライラの捌け口になってしまった。いつから、変わってしまったのだろう。仕事があんまり出来ないけど、一生懸命にやってるつもりなんだ。でも、仕事というものは結果を出さなくちゃいけないでしょう。だから日々、上司の不条理な怒りだって「質の悪い肥料だ」って思ってた。でも今日だけはどうしても我慢ができなくて仕事中に涙が出そうだった。叫び出しそうになるって描写を何度も本で読んだことあるけど、全然気持ちなんてわからなかった。今日だけはその叫び出したくなる感情が出て来そうになった。

でも、どこかで私の慈悲が突き動かされて、この人もこんなにイライラしたくて生きてるんだろうなって思ったら悲しくなったりもする。だって、人は無闇矢鱈に怒ったり、イライラするのはすごく疲れちゃうはずなのに上司はずっと怒ってる。何かに怒りをぶつけているというより、ホルモンバランスが崩れて手当たり次第当り散らしてる感じがしてるんだ。

でも、私も人間だから、さっき言ったように、本当に我慢ができなかった。彼女のため息も舌打ちも、「意味がわからないんですけど」って辛辣な罵りも、積み重ねて行くうちに怒りと悲しみとやるせなさに襲われた。

いくら質の悪い肥料を肥やしにしても、それは仕事上での話だ。彼女(上司)の尺度で振りかざされる怒りの矛先として毎日仕事をしているのは、流石に息も続かなくなる。  

 

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うまく息ができないよ〜って、心が叫んでる気がする。息ができないっていうか、うまく息継ぎができないこと。正しくはね!

どこにこの気持ちをぶつけていいのか分からない。ご飯を食べても、お酒を飲んでも、現実はちっとも変わらない。現実を変えることができるのは自分自身しかいないんですよねって言われてるみたいで余計に悲しくなっちゃうんだよ。

だから、ご飯もお酒も人も必要としないぞって強く生きようとしてもそんなのは無理。美味しいものは食べたいし、たばこは吸いたくて、人に甘えたいんだよ。それは、だって普段からいろんなことを押し殺して生きてるからどこかで解き放たないと壊れちゃうのかなって考えたりする。

 

仕事のことで悩んだり考えたりするのは辛い。逃げられないから。もしも、家族や友人や恋人や、その類の人々のことで悩んでいるとする。それらは言うならば対価を得て築かれた関係ではないからいつでも捨てられるし逃げることができる。近すぎたら、少しだけ距離を置くこともできる。

仕事はそうはいかない。逃げても逃げても追いかけてくる。自分の心臓を動かすために、向き合ってぶつかっていかなくてはいけない。

ある漫画で言ってた、仕事で支払われる対価は「嫌なこと」に対して払われるって。すごいグッときたね。楽しいことじゃなくて、嫌なことで支払われるお金なんだ給料ってもしかすると。そう考えるのは悲しいことでもなくて、お金をもらえるのはやっぱり嬉しいので少しだけ「負けない」って気持ちが帰ってくるんだよね。

 

あー難しいな。それでも何食わぬ顔で明日も仕事に行って。苦虫噛み潰しながら「すみません」ってちっちゃな声で謝るんだ。上司の圧力が怖すぎて謝罪の言葉さえ縮こまってきてしまうくらいに。お局様って彼女みたいなこと言うんだろうな〜

 

でも彼女は言ってた。35を越えるとね、なんかもうプライベートのことで悩まなくなるのよ。彼氏とか家族とか友人関係とかその類のことで一喜一憂しなくなる。いろんな物事をいいみでも悪い意味でも諦めてるから、ある意味楽だよ。だから、いまも精神状態で若い頃に戻れたらきっと物事もう少し見つめ直して人生を遅れると思うし、また別の楽しさがあるんだよね。いろんな物事を諦めて生きるって楽よ。ってしたれ顔で言ってた。

 

彼女にはきっと、不安とか恐怖とか、そんな感情も年の功で忘れ去られてしまったのかな。その代わりに身につけてしまったもの、身につけたものは他人に対する攻撃性だったのかもしれないと考える。もう何も我慢することなく、自分の怒りを相手にぶつけることができる才能を持ってしまったのかもしれない。

私はどんな大人になるのだろう。いろんな物事を諦めることができて、怯えずに生きていけたとしても、振りかざす矛先は怒りであってほしくない。他人を悲しませてまで自分が楽になりたいとは思わないけどね。

 

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彼女はどうしてあんなに、いつもカリカリしてるんだろう。

お別れ

自宅の猫が行方不明になった。

お別れの時なのだったのかもしれないね。最後までずっと身勝手なやつだった。挨拶もなしに居なくなっちゃうなんて、本当にあいつらしいよ。

 

お母さんは猫が恋しいと猫のグッズをひたすら集めるようになった。弟は一年後に猫がふらっと帰って来たニュースを見て、勇気付けられたと、微かな望みで帰る場所を用意している。

彼は私たちの立派な家族として、そこに居て当たり前の存在としてちゃんと生きていたんだろう。きっと周りの主人に比べて私たちは彼を可愛がってあげることはできなかったと思う。時にはきつく当たることも、存在を無下にすることも、「動物だから」という枠組みを超えて、残酷な付き合い方をたくさんしてきた。それでも言葉を持たない彼はただ其処に存在していたよ。

言葉にしないと、何かを残しておかないと、気持ちが押し潰されそうだ。

でも、きっと本当に彼の死に目に会ってしまったら立ち直れないと思う。わたしはまだ彼とのお別れに涙を流していない。死にゆくものに、涙を流すことがなくなったのはいつからだろうか。

生きているものとのお別れには、声が枯れるほどに泣くのに、死にゆくものとのお別れには涙が出てこない。もう二度と会うことがで出来ない事実というものは、どうしても取り戻せないという事実というものは、考え方を変えてみると期待しなくて済むことなのかもしれないと考えたりする。

生きているものへのお別れは、物理的というよりも精神的な部分が八割型を占めている。だから、まだ其処に存在していることを知っているだけで、期待してしまう。その気持ちが悲しみを増幅させて、涙が溢れてくる。

でも死にゆくものとのお別れはもう二度と、本当に望んでも会えない。もう二度と本当に会えなくなってしまう。期待もなにも全ての望みや感情が絶たれるものこそが、物事への死に対する解釈なのではないかとふと思うのだった。

 

 

お別れは悲しいけど、忘れないように何度も思い出してあげることが大切だって、今生きてる私の大切な生き物たちが言ってた。なによりも、忘れないことが、思い出すことが大切なんだって。

お父さんが昔言ってたみたいに、悲しみはいつか終わるんだよって。お婆ちゃんが死んで泣いた時に言ってた。だからこの悲しみもいつか終わる。けど、それでもずっと彼のことは忘れずに居て、自分の心の中で生き続けるなんて言ったら嘘かもしれないけど。たまにふらっと思い出して「久しぶりじゃん」って笑えたらいいな。

 

もうしばら彼に会っていないせいか、最後に会った日のことなんて忘れてしまった。それでも、若かった頃のまだ幼い彼の記憶とか。「ごはんだよ〜!」っていうお母さんが私を呼ぶ声に、自分だと勘違いして部屋かた猛スピードで飛び出して言った姿だったり、大喧嘩してお気に入りのデニムを血まみれにされたり。そんな些細な記憶ばかり蘇ってくるんだよ。

それってちゃんとお互いの時間を生きてきた事実なんだ。きっとわたしが歳をとって、昔話になったら、「昔すごく可愛くない猫を飼っててね」なんて、遠い日の微かな思い出を語る時がくるのかな。そんなこともあったね、って記憶の一部として染み込んで行くのかな?

 

今は闇雲に悲しくて、悲しくて、それでも不思議と涙は流れないんだ。そこに期待は存在しないから。それは諦めじゃなくて、そうじゃない。なんていうか受け入れるガラクタの器を辛うじて用意しているような気持ち。心が壊れないように。

 

でも、こんなこと言うのはダサいけど。もっと彼の写真をたくさん撮っておけばよかった。ブサイクだし、写真写り悪いし、インスタ映えしないし、とかしょうもないことを考えてあまり写真を撮らなかったね。そこらへんのなんでもない野良猫の写真は撮ってたのに、君の写真は数枚しか残ってないよ。どれもみんな変な顔してる。

最後まで可愛くなかった。臭かったし、汚かったし、いつも喧嘩してきてボロボロだった。いびきはうるさいし、保険のおばさんに威嚇するしさ。朝の忙しい時間に限って甘えた声を出して膝の上に乗ってきた。あと、ソファに寝そべったお父さんの足元で丸まって寝るのが好きだったね。安いカリカリが大好きだったな。お母さんが職場の人からもらってきた高級なカリカリは食べなかったね。貧乏舌なところがうちの猫らしいよ。冬なんかどうしても外に出たくて、雪の中玄関まで駆け寄ってから、ドアを開けたら寒さのあまり固まって渋い顔して家の中に戻って来たり。全部覚えてるはずなのに、最後にあいつに会った時の記憶だけがすっぽり抜けてるなんて寂しいよ。

 

もっと、抱きしめればよかった。もっと臭いをたくさん嗅いで、撫でて、遊んで、一緒に寝たりしたかった。もっと一緒に居たかった。

だから嫌なんだよ。

 

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生き物はいつか死ぬから、私より先に死ぬ生き物は嫌いだ。大っ嫌いだ。大っ嫌いだけど、でも楽しかったよ。ありがとう。またね。