コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

アンサーを返せない

いつだって答えのない現実を愛しているはずなのに、でもそれって自分を苦しめてるだけじゃない?って思っちゃうね。

答えがあるものを恐れてるのは、それが自分にとって気に食わなかった時にうまく処理できないからだろ?知ってんだよそんなこと。

 

仕事でも、プライベートでも、自分の身の振り方が本当に在るべき姿なのか怖いよ。でもそれを第三者に否定された時、ちゃんと「承知いたしました」って適応できるの?って思っちゃうね。

 

そんなことばっかり繰り返してるから、1人で自問自答して、誰とも理解しあえずに孤独だ!とか傲慢垂らして泣いてるのかな。

 

父親によく言われる「お前は人の話を聞かない」って、大人になってひしひしと感じるよ。でも人の言葉には、真意が隠されてるみたいで怖いでしょ。自分の宗教を信じて生きてるはずだし、それってただ甘えたいだけでしょ?全部わかってるふりして、楽したいだけじゃん。

 

常にぐるぐるしてるよ。

本当にこのままでいいの?もっとちゃんとするべきじゃない?って。それでも、アンサーを返せない自分はいつまでたっても成長できない。Qばっかりが増えて、何もとならないまま時間が過ぎる。

 

世の中の変化とか、周りの人がキラキラしてる姿とか、それをまるでご隠居してる老人のような目で見てる。

私だって、まだ若いし、これからどんどん進んだら、戦ったりしなくちゃいけないのに。負け戦にだって、勝てず途方にくれてる。

 

誰かのアンサーを、私自身へのアンサーを、ちゃんと返していきたいな。