コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

圧倒的な加害者

どんな時だって、私が加害者になることを知ってるよ。自分の怒りだって、元を辿れば自分が悪いくなっちゃうでしょ。だからプライベートの事情ってあんまり好きじゃない。悪者になるくらいなら、いっそのこと器用に無の感情を装うことができたらよかったのに。なんでこんなに我儘なまま大きくなっちゃったの?その裏側にある本音とか、言葉に言い表せない気持ちも全部悪者で片付けられちゃうでしょ。

誰かが人を殺す心理には必ず意味があるし、悪さをする裏側には寂しさや憤りが隠されているのに、どんなことも事実しか見えない。傷付けられた人間がいつだって勝つと思っている。圧倒的な被害者に勝てるものは、誰もいないんだから。

 

私だって、自分の悪が0だなんて思わない。100だと感じてるけど、その裏側にある溝を埋めたいだけ。要約するとそれって傲慢なのかもしれない。私も、私も、って繰り返される論議の中で一番も二番もないのに。知らぬ間に順位がつけられて、下位になる人は悪者になる。いまって本当にそんな気分なの。わかる?

 

自分があまりにも我儘で傲慢なのは、己の愚かさを他人に知ってほしいから。私も頑張ってるよ?っていうアピールじゃなくて、ただ何かに憤りを感じてるという事実を認知してほしいだけ。その手段を伝えるスキルが不足してる。

自分がやってることも、喋ってることも、全部正しさの裏側に晒されてるようで嫌気がさすよ。本当は違何!って何度も心の中で叫んでるけど、それって無力であることを露呈してるだけ。だって心の中の言葉なんて、誰にも届くはずがないから。

 

他人にすべての現状を認知してもらうことは難しいし、それを求めるのはあまりにも傲慢だよ。だから少しでも楽しくしようとしてるはずなのに、それさえも悪に見える。

 

私は被害者じゃないし、圧倒的な加害者だから、いつまでたっても声は届かない。

 

仕事しよ