コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

本当の音をあげた。小さな声で

すごく苦しい。思うように行かない。

 

大好きな女の子と話してた。女性の体は本当に強いようで脆いし、脆いようで強いもの。

あと何十年も、この我儘で不安定な体と向き合っていかなきゃいけない。昔よりはずっと強くなったよ。あの頃よりは自分を守れるようになってる。それでも体の仕組みで悩まされることは本当に多くて、それと同時に身近な人を不快な思いにさせてしまうアクションを起こしてしまう出来事を避けられない。

 

傷付けたくないし、傷付けられたくない。愛したいし、愛されたい。ただそれだけなのシンプルな話なのに、毎月一度くるサイクルで地獄のような苦しみを味わう。

 

その度に、他人の人生に惑わされることが増える。結婚や出産。同世代の女の子はみんな、一歩ずつ社会の動きに合わせて、人生の階段を登ってる。そのタイミングは人それぞれなのに、26歳になっても意識してしまう。

年をとればとるほど、他人が当たり前に登っていく後ろ姿を指をくわえて見てるばかり。

 

ただそれだけの理由じゃない。ただそれだけの理由も含まれる。

周りがどうだから、私もそうしたい!なんて、小学生や中学生の同調意識に惑わされてるだけじゃない。確信と安心が欲しいだけ。

ただ結婚や子育ては、一人だけの話じゃない。パートナーがあっての話なんだ。私だけが独りよがりに考えを進めても、仕方ないこと。

でもそれを有耶無耶に感じさせる言葉を聞けば、不安は募るばかりだよ。焦ってるわけじゃないのに、早く答えを求めてる。安心できる場所が欲しいから?

 

過去に2度子供を失った経験がある。それは私の過ちでもあり、今さら思い入れや後悔もないと言い切れる。それを理由に何かを立ち止まったり、進む方や理由にするのは好きじゃない。過去を振り返る必要はあっても、過去で未来を操ることはしたくないから。

 

年齢だよって言ったらとてもシンプルで簡単に片付けられるね。でも間違いじゃないんだ。子供が欲しいなっていう感情に、正しい理由や納得のいく答えは必要なのかな?

もう子供じゃないよ。私だって。自分で作り上げていくことや、守っていくものの重さを受け止める準備は出来ている。

まだまだポンコツかもしれない、それでも未知なる場所に飛び込みない。それは好奇心ではなく、私の自我そのものなんだよ。

ただその気持ちが本当に大切なパートナーと比例しているのか?不安を感じる。

彼なりに多くのことを考え、その中で漏らす言葉もたくさんある。私はまだその言葉を不安という形でしか受け取れないんだ。弱いな

 

本当は、もっと守って欲しい、もっと守りたい、愛されあいたい!という気持ちだけが正解なのに、女といく性が邪魔して暴走しちゃう。どこまで言っても、私は女だ。

 

自分がしっかり地に足つけて歩けるようになったからこそ、当たり前の幸せが欲しくなってきてるのかもしれない。今まで臨んできたものと形を変えているのは、成長の証だと信じたい。明日生きることが精一杯だった過去も、いまは10年20年先を考える現在・未来に変換できている。

 

もう大丈夫だよって言い切れる今だからこそ、普通の幸せを噛み締めたい。肴は必ず「良く深さ・他人の翻弄・焦り」だって馴染んでる。それも立派な本音だ。でも一つ言えるのは、ただそれだけで構築された臨みではないこと。私という人間の根底にエビデンスがあると信じて欲しいと願ってる。ずっと

 

お互いにタイミングや心の準備、いろいろな順序がある。不安や疑い、考えることもきっと多くあると思うな。

そらがうまく比例しないと、どちらかが窮屈な思いをしてしまう。今は、まさにその状態なのかもしれない。彼は本当に結婚したいのか?子供はまだ欲しくないと思っているのか?そんなことばかり本当は考えてる。そして毎日泣きそうになってる。検査薬で出た陰性結果も生理がこないこともすべて翻弄されて、ミキサーにかけられて、心はバラバラになってる。同じ場所に集まっていたものが、いろんな場所に拡散されて悲鳴をあげてる。それぞれの感情が一人で怯えて、縮こまっているんだ。

 

毎日苦しい。それでも時間は進む。口から出る言葉は、「子供はね〜」「結婚の具体的な挨拶は?」など、彼を疲れさせる言動ばかり。こんな女の子になりたくなかった。

 

どうしたらいいのか?一人で悩むには荷が重すぎるよ。

彼だって毎日疲れてる、毎日仕事を辞めたいと思ってる。それでも吐露しながら身体を投げ出して頑張ってるのに、その言葉が私の言葉を切り裂いていくと感じることも苦しい。

 

私はただ、幸せになりたいだけなのに。