コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

正しい彼女

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そういえばこの間好きな女と上野で会った話をしようと思う。

 

彼女と会うのはかれこれ一年ぶり以上な気がする。前回、彼女と会ったのは、王子劇場がある王子駅だった。実家に帰るため電車を乗り継ぐ先に私の住む自宅の最寄りがあるということで、一目だけでも会えたらと誘われて会いに行った。

彼女との日々はいつも記憶の中に強く残っている。いつでも隙のない素振りで、美しい所作と容姿をこれでかというほどに振りまきながら人々を魅了する。危うい足取りで進むその歩幅の力強さは、彼女を近くで目に留めている人にしかきっとわかることはないだろう。

 

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小さな草花が散りばめられた緑色のワンピースに身を包んで、四角い籠バッグをぶら下げて通ってくる。長く妖艶な黒髪を靡かせて、その表情には何かすべてを飲み込んでしまうような笑顔をこぼしながら。

私は彼女に会うと不思議な気持ちに駆られる。それは、安心でも幸福とも取れない、どこかで緊張感のあるドキドキという擬音が正しい感情が芽生えるんだ。いつでも背筋をしっかりと伸ばして、正しくあるべきものが在るべきものへと整頓されていくような存在として目を留められている緊張感がある。しかし、そこには不思議と居心地の悪さを感じることはなく、糸で程よく吊るされた操り人形のような心地よさがある。

 

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他愛もない話に花を咲かせながら、日差しの強い上野駅周辺を歩く。上野公園に足を運べば、大きな未来を背負い込んで人を巻き込む大道芸人の青年や食事と酒を広げた人々が各々の時間を優雅に過ごしていた。彼女と眺めるその景色は、不思議と小説の中へと吸い込まれていくような尊さを感じることが多い。一つ一つの物事をしっかりと受け止めて、咀嚼していくその姿勢は見ていて心地がいいものを感じる。自分の正しさを受け止めているような。

 

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そして私たちは十分に上野を練り歩き、満足をすると駅前の上品なカフェへと足を運んだ。いろんな話に花を咲かせては、彼女の言葉を食ういるように聞いていた。

「わたしは何処まで行っても現実主義者なんです」

そうだ、ずっとやっぱり彼女はかっこいい女性でしかなかった。尊いとか、危ういなんて言葉の物差しで飾られることのない彼女の力強さは私を圧倒するばかりで。その光の強さに照らされていると、あまりにも悪いことをしているよで、彼女の話に耳を傾けながら涙が零れそうになった。

現実にきちんと目を向けて生きている人は美しいと心から思わせてくれることに気付かせてくれる彼女はいつも美しい。その大きな瞳も、はにかむ小さな口から露になる白い歯も、長い黒髪も、すべての魅力を備え付けたように力強く真実が生きている。

前に進むためにいろんな壁にぶち当たりながらも、「ポジティブ」とい言葉をぶら下げて確実に前へと全身している。自分の気持ちと正直に向き合いながら、感情の受け皿で滴る心の滴を受け止めていくように。その桶に溜まった滴たちはどあんな色で染められていくのだろう。彼女という光に放つ色がその水面に色を映し出して反映させていくのだろうな。

私の放つ言葉に耳を傾けるその表情も、頷くタイミングでさえも、ひとつひとつの仕草が正しく用意されていて。そいこに流れる時間は、あまりにも瑞々しくて愛おしさを超えて疎ましさでさえ感じ取れる。きっと彼女しか作ることのできない空気に自分が飲み込まれていく恐ろしさと心地よさに情報処理がバグを起こしているみたいだった。

 

自分の感性を感性のままで終わらせない潔さは振り切れていて、かっこいい。小説の中から飛び出してきたような、そんな人であっても現実と向き合っている力強さがある。何事にも頑な責任感と物事を確実に賢く遂行する姿も、どれをとっても似合う言葉は「正しさ」であると思う。

きっとこれから彼女は社会人として右往左往しながら、自分の生きる領域や陣地をしっかりと確立して、社会の欠けたピースをしっかりと埋めていくのであろう。これからどう変化し、どんな風に実績を残していくのか、その姿を見逃さずに目で追い続けていたい。

 

やっぱりね、仕事ができる人、現実と対等に向き合っている人は美しいし、かっこいい。私はそういう人間が大好きだ。彼らは、現実というあまりにも不確かな世界の中で確かなものを確実に人々は刻んで生きていくでしょう。

私も彼女や彼らのように、現実社会という曖昧なレールのうえに、自分という人間の真実をしっかりと刻んで生きていきたい。大切なものを見落とさない目が欲しい。必要なものを握りしめて、不必要なものを処分しながら、ゆっくりでもいいから歩き続けたい。最後に正しかったと思える人生で彩っていきたいと感じる。

 

きっと大昔に比べて他人の言葉を受け取る度量が大きくなったと思う。誰かの言葉に耳を傾けて、自分の時間軸に刻んでいくことがどれほど大切なことなのかをきちんと知ることができている。

他人の言葉を受け取る器は、あまりにも粗雑でボロボロだった。そこに放り込まれたものは生ごみばかりで、ビニールを介さないまま放り込まれいてしまい、半年以上経過したゴミ箱みたいに腐敗して疲弊した汚い汚物入れ状態。もうそれ以上何かを受け入れる度量なんて用意されていなかった。なにも考えずに飲み込んでいたら、いつの間にか放り込まれるのは使い物にならない腐った残飯や危険ごみばかりで、分別されることのないそれらはリサイクルされることなく掃きだめになって溢れ返っていくばかり。ゴミの収集者さえも回収していってくれない始末だったね。

そして、きっと昔の私であれば、「自分自身」という頑なで曖昧なものを武器に、孤立した世界で我武者羅に振り回していた。もしくは、使い方を心得ずに立派な武器ばかり手にして、宝の持ち腐れだったかもしれない。何かを鍛錬しながら戦いに行くという勇気もないままに、最初のダンジョンでエンカウントするレベルの低いスライムを倒すばかりで一行にレベル上げなんて出来ないままで。

時間が経過していくごとに、少しずつ掃きだめは消化され始めた。きちんと分別をして、何をどこ捨てればいいのか学んでいくスキルが磨かれて行って。新しい言葉を飲み込む隙間が少しずつ露になっていったんだ。新しくできたどの隙間には、これまでのように心の器が汚物入れにならないように、放り込む前に「必要か不必要か」きちんと選別していくことの重要さを吸収することができたんだ。

それはきっとボロボロになった汚物入れを使い込んできたことによって、痛みを知ることによって、気づけた正しさという照明なんだ。私なりの正しさを手に入れる手段は、少し回り道をしすぎてしまったかもしれない。だから今ここで、足踏みをしている時間はない。

あまりにも不必要な武器を振りかざしすぎた。どんなに強い武器を持っていても、その使用方法を心得ていないと何処にも行けない。新しい街には行くことができないままだ。私はいつまでたってもマサラタウンで足踏みしてるだけじゃダメでしょう。