コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

新生活

約一年間お世話になった、彼と暮らした家を出て実家に帰ってきた。「寂しい」なんて言ってられるくらいの余裕があるうちはきっと大丈夫だろう。

私は割と弱い一面が多く、取り戻すことのできない小さな物一つ一つに気持ちを寄せて生きている。そこまで器用に切り替えができないので些細な刺激で涙を流してばかりである。

 

 

久しぶりに鎌倉へと帰ってみると、去年の夏なかった300円のサボテンが大きく育っていた。家を出たあの日から、母親が毎日水を与えていてくれたみたいだ。名前をつけて可愛がっていたはずなのに、いつの間にかその名前さえも忘れてしまったので薄情なものだ。

 

急に環境が変わると鼻の調子が悪くなる。二月も終わりに差し掛かる季節、もうすぐ花粉の季節なのかもしれない。外の空気は冷たいけれど、天気がいいので空気の入れ替えをするために網戸にする。

部屋の片付けをして、引っ越すときに必要な最低限の荷物をまとめてしまう。

一年半ぶりの一人暮らしは、まだ心がうまく準備できていない。前回はやむ終えずに退去することになってしまったあの頃。

今回の一人暮らしはうまくいくだろうか?仕事も生活も、いつだって当たり前のように長続きはしない。心を一定のリズムで刻むことができないので何度も失敗を繰り返し、恐れている。今回は、不思議とあまり気負いせずに挑むことが出来そうだ。2年前の私と、今の私とでは立っている場所も、バイタリティもモチベーションもはるかに質が変わっている(と思いたい)

 

長らく恋人と暮らす生活が当たり前だった毎日。疲れて帰ってきて、「おかえり」と「ただいま」という言葉を掛け合う日々。1日の終わりには温め合うように、互いの冷えた体をくっ付けて眠る。きっとこれからは、そんな当たり前が「特別」に変わるのだろう。1人で暮らすという気楽さと共に失われる人の温もり。

忙しい私生活の中で、どれほど彼との時間を過ごせるだろうか。互いの家に遊びに行ったり、泊まりに行ったら、仕事帰りにお茶をしたりなんて話をして「楽しみだね」と彼はにこにこしていた。私もとても楽しみだよ!と心の方向を同じ向きに正そうとする。それでも、どこかで寂しいという気持ちは拭えない。

 

暫くの間は鎌倉から東京の職場へ通うことになるだろう。去年の夏に、古着屋で勤務していた時のように。朝が起きれるだろうか?会社の飲み会に参加した時家に帰れるだろうか?と不安は募る一方で。ただ一つ楽しみなことは、母親がおベントを作ってくれることだ。

バスに乗り、電車に乗って片道2時間近くの小旅行を二週間近く繰り返す。疲れて帰ってきたらきっと、夕飯も食べずに布団に潜り込んで次の日はと備えるんだろうな。

 

 

引っ越しは3月の3日と4日に行われる。ここに決めた!という部屋の内見をまだしていないので、実際に部屋を見に行きたい気持ちが焦るばかりだ。

東京の外れの方に、1人でひっそりと生きる。これからもっと人生が豊かになって、新生活も折れることなく歩き続けたいな。