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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

「ごめんね。そんなに、あなたの心の中で悩みを抱えていると思わなかったよ」と後ろから囲われるように抱きしめられた時に。其れ等は義務的な何かでしかないのに愛を感じた。

 

私が被害者になれた時、初めて加害者に対して愛情を感じる。誰かによって傷つけられて初めて私は愛を感じる。「ごめんね」というその言葉が聞きたくて傷ついたふりをして声を荒げることも、そのまま何処へも行けずに言葉が溢れてしまうことさえも愛おしい。そこに本当の意味での愛なんて存在しないはずなのに。

 

 

 

 

昨日、久しぶりに中野へ行きました。数ある人と足を運んだ中野ブロードウェイの匂いは、いろんな人々と出会い別れた時間が刻んであって心が引きされそうな思いだった。

異文化交流ということも兼ねて、オタク気質の彼の思考を横目で目に止める。久しぶりに出かけて気持ちが高ぶり、ワクワクを止められずにいたら「子供じゃないんだからはしゃぐな!」と怒られてしまった。

大人になると、周りの目を気にして素直にはしゃぐことさえも塞がれてしまう。「恥ずかしい」って言葉で封じ込められてしまう。「見て見て!あれ!」とはしゃぐそれらさえもら許されないスマートな23歳に私はなれるのか。

 

誰かを蔑んだり、馬鹿にしたり、狭い世界に閉じこもって多くの物事を落ち着いた心持ちで見えているように感じながらも。本当に未熟な生き物は自分自身で。社会に一歩踏み出せば、みんなモンスターのように見える。強くて勇ましく、わたしよりもはるかに強くて、勝てる気がしないんだ。追いつけないよ。彼女も彼も。

 

中野への帰り道のこと。

あまりにも悲しくて、横でベルセルクを読む彼をずっと眺めていた。ただその時の時間だけ言葉を交わしたくて「ベルセルクは帰ってから読まない?」と声をかけると「構ってちゃんは嫌いだよ!」と一瞥して再びiPhoneを指でなでる。帰りがけに見つけた不思議な鏡に目をやれば「そんな素振りをしても構ってあげられないよ」と吐き捨てる彼の言葉に、今すぐにでも飛び蹴りをかましてしまいたいくらいに腹が立ってしまった。

嘔吐した後の口にフィナンシェを無理やり詰め込んで、胃がすべてを吐き戻そうとする衝動に駆られながら、ひたすらに怒りの感情を抑え込んで。自分の言動や言葉の羅列すべてを憎んでは押し殺して小さい箱にしまいやる。

 

 

 

誰かが言ってた。あなたには言葉があるのに、どうして身体で物事を解決しようとするのかると。自傷行為も似たようなもので、本来言葉があるにも関わらず身体にすべてのウェイトを描けるからそこ、その重みが伝わりすぎて傷だらけの血まみれになってしまう。

馬鹿は言葉を知らないから幸せだよね。私はきっと言葉を知っている人間だけど、時々本当に何も考えたくないときはことばしらないふりをして、思考を放棄して馬鹿になりたくて、腕を切り刻むのかもしれない。

そうすることが一番自分の身体を蝕む手っ取り早いマイナスの振り幅への近道だと、味を占めてしまったかのように。

 

 

 

 

よく、メンヘラだとかそういう文化がいろんなカルチャーに行き渡って。それを手に取る人間は口々に「しおりちゃんみたいだね」って言葉にするけど。そんなお前らの浅はかな物差しで私を計らないでほしい。だから貴方の目を覆うか、わたし自身が透明人間にでもなって仕舞えばいいと思う。