コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

信じる

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見えないゴールに向かって、どこまで走り続けられるだろうか。
走ることはなくて、歩くということを少しずつ習得し始めているんだ。コンディションが整っていない状況で長距離マラソンは負荷が掛かりすぎる。最初は歩き出すことから始めてみようか。たまに疲れたら道端にある即席のベンチに座ってゆっくりタバコを吸うのも悪くない。

「貴方はいつも太く短くだから、細く長く続けていけばいいんだよ」と母親は言った。いろんな物事が始まると同時に変化をすぐに求めてしまう。毎日同じことの繰り返しの中で何か刺激を求めるように模索して、すっとんきょんな変化に対して盲信しているばかりだった。

いつだって自分自身に対する不安はどこかに隠れている。誰しもがそうだろう。見えない不安を心の何処かで抱えながら生きているよ。
その不安を今すぐに取り除いてしまおうと猪突猛進することを繰り返すばかりに様々なところが脆くなり壊れやすくなった。「ゆっくり気長に」という線路が何時まで続くか分からないことを恐れるあまり、リスクを被る電車に乗り込み全力で目的地までの道程を行けるところまで走っていこうとばかり考えていた。
馬力も足りない見切り発進のそれは急激に発進をして脱線事故を起こしたり、エネルギー不足で立ち止まってしまう。そして再び振り出しに戻っての繰り返し。

幾度となく同じことを繰り返して生きてきては、いろんなものを失ってきた。
でも何一つとして後悔はしていないし、する必要はないんだ。捨てるものあれば得るもの出会いが後にも先にも必ず有ることを知っている。

過去は時に自分の首を絞める醜いものであったり、恨めしく思うほどに輝かしい光を放つこともあるんだ。その積み重ねで『私』という人間が少しずつ構築されていく。30秒前の瞬間でさえ、観る世界や交わした言葉や何もかも些細な物事は総ての積み重ねとしてミルフィーユのように自己が出来上がっていく。どんな過去も未来も喜怒哀楽も、総てを愛することはできないけれど、頭ごなしに否定をする必要はない。怒りも悲しみも喜びも愛も、その瞬間、出くわしたその時から自分のものになる。

大丈夫だよ。安心して。
「変化」にばかり気を囚われないで。恐れないで。今の自分のままで居ては駄目だと思い込む感情こそが、様々な道程への壁を創り上げ、終いには他者に対する鬱陶しさに拍車をかけてしまうんだ。本当に大切なものがどんどん見えなくなってしまうのは悲しい。空虚な気持ちは増していく一方だよ。

総てを愛することだけが正解ではない。思うがままに、自分の気持ちを信じていてあげることが大切だよ。
未だに愛せないものや、怖いもの不安や恐れを感じる物事は数え切れないほどある。それは今の自分にとっての立派な真実でしかない。
まだ自身を信じて歩いて行くことに慣れていないだけだ。悲観しないで。

小さな物事から。(総ての真実を)自分を信じてゆっくり歩いていこう。疲れたら休もう。休憩しても振り出しに戻ることはないから疑心暗鬼になって身構えることはない。

ねえ、大丈夫だよ。私は此処に立ってる。