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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

自意識

好きなものが好き。ただそれだけでいいのに、どこかで大衆の中に溶け込めない自分に劣等感を感じて生きている。

誰しも個々の中に存在する価値観や感性は十人十色であり、自己意識を頑なに持ちながら多くの人々と相容れる関係を築くことは難しい。

 

「あなたの好きなものはなんですか?」

この質問を恐ろしく感じることがある。社会はそこまで寛大には出来ていなくて、時に他者の趣味嗜好に対してマイナスのステレオタイプが発動されると、それ以上の言葉を吐き出すことを諦めざるおえなくなる時がある。日々生きていく上において誰かの何気ないマイナスの言葉が積み重なることによって自意識が発動し、どんな言葉を繰り出そうとしても自発的な発言を躊躇してしまう。

好きを否定されたとき、どのように消化すればいいのか未だに解決策はどこにも見当たらない。「きっとそういう人もいるさ」という楽観的思考を持って、何食わぬ顔で処理できるほど都合よく作られた脳は生憎持ち合わせていない。いつしか不快感を避けるために、過度な自意識が働き自分の言葉を自己の中で留めて消化するようになった。

自分の思う「好き」に対しては誇らしくいていいと思う反面、社会のステレオタイプに追いやられる、もしくは不快に思う辛辣な言葉を投げかけられて死んでいくのであれば、自己の中に留めておいたほうがよっぽど気持ち的には楽なのではないだろうか?という保身的な思考に移行し始める。そうやって少しずつ他者と自己の間に溝が出来ることにより、ある一定の距離を縮めることは不可能になる。

 

他人と自分の間には大きな壁がひとつあって、それを乗り越えることにより得られる喜びもあれば悲しみもあるだろう。人間関係において相互の喜怒哀楽によって被る負荷を背負えるほどの自信がまだ此処には存在していない。

絶対的な肯定を望むあまりに、それを得られる確信がそこに存在しない限りは、すべての事柄を他者に開示することはとても難しい。要するに他者からの否定を恐れいるあまりに当たり障りのない範囲で人間関係を築き、いつか被るであろう心の負荷を免れる為に引き際を伺って生きている。

それではいつまでたっても拭うことの出来ない孤独感を感じて生きていくことしか出来ない。

不確かな未来において、一歩踏み出したその先にどれほどのメリットや価値を得られるのであろうか。いざ踏み出して身を投げてみないと答えが分からないという賭けに出ては、満足する回答は返ってくるのであろうか?と個人の憶測の中で世界は膨らんでいき、いつまで経っても狭い自己世界の中で自分を可愛がりながら他者と線引きをして息をしているようにも思う。

 

傷つくことを恐れてばかりではいつまでたっても前進することは出来ないという考えは何千何万回と言われてきたことでしょう。何時までも手探りで求め続ける、他者に対する絶対的な肯定なんて本当は何処にも存在しないんだよ。

痛みを被ることによって得られる明るい未来だってどこかに存在るだろう。いつか出会えるであろうと夢を見ている。長らく培ってきてしまった対人関係での痛みは深く心に刻まれ、癒えることがないままに前進しようとすればいとも簡単にプラスの意識に蓋をしようとしてしまう。

 

否定も肯定さえもすべてひっくるめて愛することが出来たら、どんなに心が楽になれるであろうか。