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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

お別れ

誰かが言っていた言葉、「お別れするっていうことは、その人に人生に参加しなくなるっていうことだよ」

 

引っ越しをした。

去年の九月ごろだっただろうか、閉鎖病棟を無事に退院して自宅に戻り、しばらくは憂鬱な日々を送っていた。当時付き合っていた恋人も関係が上手くいかずに好きという気持ちだけが突っ走って毎日声を枯らしながら泣いていた。「一緒に暮らそう」という彼の言葉を受けて9月1日に鎌倉を出た。

彼から受ける「君はずっと鎌倉に居るんだ」という言葉が足かせになって、後先を考えずに大きな荷物を抱えて彼の家へと飛び込んだ。

しばらくしてからは、彼と暮らす日々に限界を感じて、経済的な余裕が出来てきた頃には念願の一人暮らしを夢見ていた。自分の力ですべての生活を担うという事実が自信に繋がって少しずついろんな物事が上向きの方向へ流れて行くように見えたよ。

病気も治って、距離を置くことにより恋人は少し関係が改善されたようにも見えたけど、苦しみを心の片隅においやって様々なことをおざなりにし、根本的な問題は何一つとして解決していなかったでしょう。

一人暮らしを始め、しばらくすると徐々に心が苦しくなっていくことが増えた。その理由や原因は思い出すことが出来ない。精神科を梯子して向精神薬を大量に服薬して意識を飛ばし、朝がくれば胃が空っぽになるまで吐いた。一人で暮らしているからこそ見境なく様々な物事に拍車をかけて自分を傷つける行為も加速していったり。

アルバイト前には20針以上の傷を作り、彼にあきれ顔で整形外科へと一緒に向かった。仕事が出来ずにしばらく休むことも多々あり、少しずつ物事の流れは思う方向に進むことを拒んでいって。

 

夏も差し掛かるころには私たちの関係は終止符を打っていて、それでも自宅が近いということもあり彼とは頻繁に会う機会が多かった。お別れしたにも関わらず、私はまだ彼の人生に参加し続けていた。

自宅へ押しかけてきては、我が物顔で寄り添う恋人同士のような関係が続いていたけれど、「僕たちは恋人同士じゃなくて、友達ですから」と彼は頑なに協調をしていたでしょう。今思えば、それは彼の愛情ではなく都合の範疇で他人の人生に突き動かされていたのではないかと思う。

鎌倉に帰省する少し前、友人が自宅へ遊びに来る日々が続いた。大好きな人々が我が家へ遊びに来ては、お酒を飲んだり音楽を聴いたり、昔話に花が咲いたり、自分の好きな言葉や時間があの部屋に溢れて。友人が帰宅してしまった後の空虚な気持ちを拭うことが出来ずに再び大きな傷を作ってしまって。

 

幾度となく繰り返される自傷行為と共に心は疲弊していき、面白いように物事は上手くいかなくなっていく。バイトも休む日々が増え、職場の人間関係も悪くなる一方で。毎日大量の食料と酒を買い込では逃げ場のないものをすべてそこにぶつけて。心配になった家族が鎌倉から迎えに来て実家に一旦帰省して。「今の状態では一人暮らしをさせることは出来ない」という話になり、またいつか戻れることを祈って部屋は引き払うことなく、仕事をやめてた。働くこともできず、またこの土地に戻うてきてしまったという憂鬱な感情はいつまでも拭われず、同じことの繰り返しを7している。

 

 

7月の後半から現在にかけて、大きなものを失ったり、大きなものを得たり。数か月の間に起こった物事はすぐに消化することはできずに心の片隅で息をひそめている。何かを得るには代償として何かを失わなければいけない。

 

鎌倉に帰宅してからもしばらくは元恋人から連絡があり、自分自身の不甲斐ない現状に対する辛辣な言葉をぶつけられてはあの頃のように声が枯れるまで泣くこともあった。もう私は彼の人生から離脱するべきだと判断をし、最後に口から出た言葉は一緒に過ごした時間の中で培って背負った苦しみのそのものだった。

人と人は驚くほどにあっさりと赤の他人になってしまうことができる。多くの時間を共有していようとも、心の距離が離れてしまえばその事実さえも其処に存在しなかったかのように新しい時間で上書きされていくでしょう。

 

引っ越しの当日。彼に渡していたスペアキーを返してもらうために連絡をした。自宅までその他諸々の大きな荷物を抱えて彼は現れると、こちらの顔を見ることもせずに荷物を渡すと、「じゃあ」と一言添えて行ってしまったんだ。こうも簡単に他人の気持ちは離れて行ってしまうものなんだね。

彼はもう私の人生には参加することはないし、私も彼の人生に参加することはない。何事もなかったかのように淡々と時は過ぎていくね。それぞれの時間が相容れることなく過ぎていく。他人になる音が聞こえるような音がしたよ。

 

東京を去るというのは、失うことへの惜しむ気持ちではないけれど、失ったと思う気持ちがそこにあるのは、それだけの物を与えてもらった事実なのかもしれない。

 

私はこうしてまた様々なものを失うことによって、いろいろなものを与えてもらい、新しいものに出会っていくのだと思うとお別れも悪くないと思えたよ。思っていたよりも悲しみに現を抜かすことはなく、気持ちの整理がついてとてもよかった。手放してしまうことにより新たなものへ挑戦する準備ができるでしょう。

 

さようなら