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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

病気

「君は事故物件なんだよ」

彼から向けられた言葉。境界性人格障害という煩わしい名前の病気を抱えながらして、他者と関係を築くことはどれほどリスクを抱えることなのだろうか?

些細な出来事が心の中で飛躍し、大きな事柄に発展すると全ての物事を放棄して自分自身さえも壊してしまいたくなる。人間関係においてもそうだ。少しでも嫌なことや納得のいかないことがあれば他者を傷つける、もしくは他者の人生から離脱することを選択する。

誰かと関係を築く上で些細な衝突は付き物だが、その度に感情の振れ幅が100と0の両極端に分かれてしまう場合、心には多大なる負荷が掛かる。
どれだけ相手が自分を必要としているのか?どこまで愛情を注いでもらえるのか?試せば試すほど、エスカレートしていっては空虚な感情はいつまでたっても埋められない。
何かを拭い去るように様々な形の自傷行為に走ってどこまで自分を追い込み、死へ追いやれるか試す。

究極を言ってしまえば、穴として必要とされるだけでも地面に頭を擦りつけて土下座するほど感謝すべき行動ではないか?という歪んだ感情が芽生える。身体のみの関係であっても、そこに自分を必要としてくれるという事実があれば御構い無しにセックスをしてしまうことがある。性的逸脱行為という症状の一つだ。同時に身体を許してしまった自分に対する自己嫌悪と憎悪と共に死へ追い遣ろうとする精神を育む手立ての一つとして使われる。
何かを拭い去るように身体を刃物で傷つける。

見境なく訪れる見捨てられ不安。毎日同じ感情などそこには存在しない。今日好きであろうとも明日は憎悪を抱いているかもしれない。感情の振れ幅が大きい分日を追うごとに別人格のような思考を持つ。
どれが本当の自分なのだろうか?好きな人を自信を持って毎日変わらず好きでいることが出来ない。熱りが覚めれば何事もなかったかのように近付くし、何かの発端で捨ててしまおうと決意してしまうこともある。

これらを踏まえて境界性人格障害という病気は「事故物件」という彼の比喩に等しい人種になるのかもしれない。

必要とされたいという感情と共に芽生えた一過性のものを必死に繋ぎ止めるべくして、心に負荷を与えながら誰かに寄り添うことは本来の自分を守るべきら出来る行動なのか?

愛されたから愛される。必要とされるのであれば、イエスマンになり得て答える。その先にある不確定なものに身を委ねて心に負荷をかけることこそが自分の心を壊す何よりもの要因なのではないだろうか?

他者には理解されづらい病気だ。はたから見ればそれは、ただの構って欲しいクソビッチにしか見えないだろう。
理解など求めることさえ愚問だ。何度となく風当たりの強い言葉を受けできたことにより、その甲斐あってか「理解」という果てしない望みは心の中で朽ちて消えたよ。

事故物件。
そう呼ばれるだけの何かを抱えているのであれば、もう同じことを繰り返すべきではない。空虚な気持ちを埋める為にら必死に手さぐりでかき集めた其れ等は病気を救ってはくれないでしょう。理解され難いそれを抱えながら、他者と寄り添い傷付いては心が壊れることを繰り返すよりも、長い目で見た上で人間関係の築き方を考えていった方がいい。

私はいつまでも、ボーダーラインという障害にとどまっている必要はない。