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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

hakidame

私の一日が終わるときに傍にいてほしいという話。

 

何をしていても退屈で、腕を切り終えた虚無感と空虚さは拭われない。どこにいても一人でいるような気持ちが取り払われません。一過性の何かを埋めるためだけに誰かにゆだねられる私の身体と代償に失われていく心はどこで綺麗に葬られていくのでしょうか。という話。

毎日オナニーして、ご飯を食べて、誰かに愛嬌を振りまいて愛された気になっているその先に何があるの?空虚な気持ちは取り払われずに、せめてもの自分に対する抵抗とともに、誰かに言わせてみれば悲しい演出を作り出すそれら。腕を切るという行為。22歳にもなって自宅に引きこもって毎日なにしているのでしょうか??

 

家族はいう。お前は働かずに家でぐーたらして、気が向いたらリストカットをして頭がおかしいねって。冷静に考えれば常人が行うべき生活ではない。みんなは当たり前のようにまともに働いて、お金を稼いで、友達と遊んで、それなりに社会の中にもまれて生きているでしょう。喜怒哀楽もそこにはきちんとあるんだから。

こんな狭い世界に閉じこもって自分の持論を並べて傷つけられないように、否定されないように怯えては虚言を吐いてる。

 

腕を切るなってなんだよ。じゃ、てめぇは腕を切らないだけの代償をこっちに向けてくれるのかお。ふざけるな。根性論も正論も社会の倫理観も個人の尺度の押しつけもなにもかも鬱陶しくて仕方がない。自傷行為者はいつまでたっても絶対的な被害者にはなれない。「どうして腕を切るの?」なんて質問の答えにある先の終着点はどこに行きつくの?一つじゃない。毎日抱えている感情の色は違うし、誰かに吐き出すそれさえも本質的なものを捉えた深層心理かどうかさえ曖昧で恐ろしくなる。明日になれば正反対の感情に振り切れているかもしれない毎日に、どこに本質的なものはあるの?私はなにを考えてどう生きたいの?どこに行ったら救われるの?

すべて本当と言い切ったところで、救われるの?私は自分が作り出した世界だけでしか圧倒的な被害者にはなれないし、結局のところかわいそうな人という認定は、哀れで寂しくて独りぼっちのどうしようもない人って意味なんでしょう。

どこに行っても誰にも認めてもらえないし、救われることはない。口から吐き出される感情論なんて個人の中での事実でしかないので、他者には戯言の一種でしかない。じゃあ、その感情論はどこで消化すればいいの。

 

いろんなものの吐き溜めを消化するには自傷行為という方法しかないのに、それさえも押さえつけられてしまったら、いっそのこと死んでしまえばいいという話なのだろうか。誰がなんという極論に達するのは頭が悪い。人間はどうしたって相容れない生き物であって、どこかで見切りをつけて生きていかなければいけないのに、様々な物事に対して一過性の感情に揺さぶられて何もかもを壊してしまうのはあまりにも利口ではないのにね。どうして、どこかで破滅的な感情が取り払われないのだろうか。

 

言わせておけいい。どんな言葉であっても花瓶に反応せずに自分が生きたいように生きて入れないいのに、自分の言葉をどんどん殺されていくといつか窮屈になって壊れそうになる。言葉を述べることさえも億劫になって、イエスマンになる。「はい。わかりまた」で相手の言葉を飲み込んでおけばそれは、事は円滑に進むのではないかという安直な答えはあまりにも頭が悪すぎる。

「あなたはいま、一番我慢しちゃいけない人なんじゃないの?」と誰かに言われた。それでも、私が我慢していろんな物事が進んでいくのなら、その抱え込んでい様々な事柄に押しつぶされていっそのこと殺されてしまいたいと思う。どう転んでも望むその先にあるのは、何時本当に死を意識できるのかということ。

そこまで私は様々なことを振り切れるわけではなくて、傷付くことさえもすべて自分の都合の範疇で気持ちのいい領域でせき止められている。どこまでも臆病者でしかないのに。

それを誰かは、「生きたいんだ」というけど、何も答えるすべがない。生きたいか死にたいかなんてそれは、結局のところ個人の感情がベースで語られる話のなので、他人の正論なんて何一つ響きはしない。ずっと悲しい人でいるしかないのか。

相容れないままに、ずっと一人で泣いていることは苦しいし、誰かに助けを求めたいし、バカみたいに自分の感情論のすべてを納得がいくように窘められてそのまま優しく殺してほしンゴな。

 

くっそ まじで毎日死にてぇよ。神様早く殺して ジーザス