コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

限界

納得がいかない物事に対して、すべてに納得がいかないと言葉を並べられるわけなじゃい。圧倒的被害者でも、加害者だとしても。

 

「君の生き方は気持ち悪い」

ある物事を述べたときに並べられた言葉。ずっと寄り添ってきた人。生きるも死ぬも、すべての大事な時間を必死に二人で生きてきた人に、私のすべてを否定されたような気がした。追い打ちを掛けるように、新たなに時間を刻んだ人間にも「確かに君のやっていることは、普通の人から見てみれば気持ち悪いと思うよ」きっとそれらはれっきとした彼らの一つの意見で、献身的に受け止めるべきなのだろうか。

誰に何を言われようともある程度は平気な顔をしていられる。怒ることや、悲しい感情を抱くということは、それだけ相手に対して真剣な証拠だと思う。どうでもいい人間が何を言ったところで何も響かないし私の人生は揺れない。いつだって彼らを愛してるし彼らが憎いよ。

私はいつまでたっても、誰かの中ではダメで可哀想な人間なのだろうか。昔からそうだった。本当は誰にも目を留められないでひっそりと生きたかった。誰の中にも存在しない方がずっと楽だった。何もかもひた隠しにして生きてきた。人はあまり信用ならないもので、少しでも心を開くと付け込まれる。自分の範疇で生きてることさえ、他人はそれを平気で笑いものに仕立て上げてしまえるでしょう。誰かの哀れみを蔑んではコミュニティーを形成して攻撃する。

もっと、そっと生きていたかった。誰にも気づかれずに、私のことを誰も知らない世界で、自分の好きなことを愛して生きていたかった。自分のおもむくままに生きれば、多くの物事からはじかれることは増えた。はじかれることには慣れた。それを集団で攻撃して否定の渦に押し込むことは未だに馴れないね。ほっといてくれよ。そっとしておいてくれよ。私は君たちの笑いものになるために生きてるわけじゃないのに、どうしてそんなにもずっと私を蔑むの。

人は1人では生きていけないけれど、人が思ってる以上に残酷だ。簡単に人を殺す。平気な顔して、悪気もなくて、それはニュートラルに遂行されてしまう。誰かに何かを言うことさえ恐ろしいね。少しでも油断すれば殺しにかかってくる。人は残酷な生き物だね。

話したいことも、打ち明けないことも、悲しいことも沢山あるけど、誰にもそんなことは言うべきじゃない。人との会話は時に殺し合いで、隙を見せれば滅多刺しされる。私はもう誰にもなにも言いたくない。彼らにも。1人で悲しい顔をして文章をかいてればそれでいいかもしれない。不特定多数の誰かのもとに自分の気持ちを垂れ流して気持ち悪いかい。1人じゃ消化できない感情は多くあるよ。特定の誰かと言葉の殺し合いをする気力さえ自分には残っていない。

人は一人じゃ生きていけない。時に誰かに寄りかかりたくなる時もある。どんな形であれ、だれが何と言おうと自分が納得して生きているのであればいいんだ。でもね、君に否定される筋合いはないね。君は君の土俵で生きてくれていればいい。こちらはこちらの世界で死にもの狂いで死ぬよ。わざわざそんな辛辣な言葉を並べて攻撃するのはやめてくれよ。楽しい?人が傷ついて血だらけになっていく姿は滑稽かい?わざわざ目に留めてはまた、そうやって煽るんだろう。ねぇ、人いつか本当に死ぬんだよ?忘れないでね。君は幸せに生きてね。その中で少しの不幸に見舞われてもがき苦しんでね。私は君の世界から一足お先に失礼いたす~