コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

エロいセックスをすれば、するほど悲しくなるし、誰かを愛せば愛するほど苦しくなる。それはまだ私が未熟者だから自分の欲にかまけて得たものへの代償を上手く消化できない。背負いきれない。そして消化できない蟠りは、相手からしてみれば鬱陶しい感情でしかない。

慣れないセックスも恋も愛も、捨てるんじゃなくて一旦お休み。いつだってオナニーを愛しているのと同じように、いつだって一人の時間を愛している。中途半端な温もりほど人を壊すものはないでしょう。こうして言葉を吐いて、落とし所をつけて自分自身を肯定してしまわないと崩れ落ちてしまいそう。誰に何を指図されようと、私は私のやり方で前を見ることしかできない。

私は一人で寂しい人という意識が強い。自意識も人一倍高く、人の温もりや愛を知っているからこそ頭の中は煩悩にあふれて、その感情に殺される。人それぞれ培ってきたものや、触ったもの、見てきたもの、愛されてきた数は違う。私には私の傷や痛みがある。それを一番理解しているのは私。だから他人を否定するし、間違っていることは正論であっても受け入れることはできない。
自分の世界の中で戦っているだけなのかもしれない。外に出ることが強いだけ。否定されるのも、もみくちゃに潰されるのも強い。弱いから大切なものを全て見失ってしまいそうで。緩くて優しい世界に浸って私が私であるような顔をして生きているだけかもしれない。
私は私の人生を脅かしたくない。まだ弱くて柔らかい蛹のうちに、取り返しのつかないくらいまで殺してしまいたくない。生きたいから守るしかない。それを誰がなんて言おうと、ただの言い訳だとしても。私の人生は私のものだから、お前らに指図される筋合いはない。