コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

怖い


死期を悟った誰かが言ってたあの言葉。「死ぬのは怖くないわ。ただ、時間が足りないの。悔しい」骨と皮になって皺の寄った弱々しい腕を広げて天を仰ぐように訴える。身体中には管が繋がれて、其れ等によって彼女の消え入りそうな命の灯火は存在出来る。死を恐れようとせず、生に向かって純粋に突き進む姿があまりにも美しくて、その一瞬の流れがずっと脳裏に焼きついて離れないよ。

若くて、快活なあの人も、いつか衰えていき、いろんなところが少しずつ壊れていってしまう。艶のある肌や、高らかに笑う声も、軽やかな身のこなしも、事実であったことを全て否定するかのように擦れて見えなくなっていく。
目に見えないスピードで人は日々老いていく。ふと気が付くと後戻り出来ない場所まで行ってしまって、追いつこうとしても追い付けない。私の知らない場所へ行ってしまったかのように。

年を重ねることが怖いんだ。自分が衰退していくことよりも何よりも周りの大切な人々が壊れていく姿を眺めていることが怖い。自分が年をとれば、勿論周りだって同じように比例して老いていく。
父親も、母親も、私よりずっと早く年を取ってしまうし、上手く歩けなくなり、上手く喋れなくなり、いろんなことが困難になって。当たり前に生活していた日常が少しずつ思い通りにならなくなって、不甲斐なさを抱えながら、時の流れに逆らえずに打ち拉がれて死を迎えるの?
大切な人々が「死ぬ」のが怖いわけじゃないよ。一瞬でも目を離してしまえば、彼らは少しずつ、ゆっくりと、いつの間にか取り返しのつかない遠いところまで行ってしまいそうで怖い。私一人だけを此処に置き去りにして見えなくいところまで行ってしまう。

お父さんが言ってた。小学生の時に、お婆ちゃんが死んで大泣きした時。「人はずっと悲しみに打ちひしがれることは出来ないんだよ。暫くすれば人の死も慣れてしまう。だからいまは沢山泣いて悲しみなさい」そう言って強く抱きしめてくれた。
人の死は慣れてしまう。それが当たり前のように、そこに存在しないことが正解であるかのように何も変わらない日常が進んでいく。日々更新されていく新しい記憶に塗り固められて、思い出として深い押入れの中に大切にしまい込まれる。私たちが想像するより遥かに、人間の心は合理的に作られている。心が壊れてしまわないように。

そこから消えてしまえば、無くなってしまえば、手繰り寄せることさえ出来ずに、事実を受け止めるしかない。出てしまった答えを噛みしめるしかない。
でも、消えて無くなってしまいそうになりながらも其処に存在する儚い灯火は、たとえ無駄な努力であろうと、存在しているという微かな期待を胸に引き寄せて何処か遠くに行ってしまわぬよう、必死に繋ぎ止めておきたいと願うばかりで。其処に存在しているからこそ、消えて無くなってしまうことが恐ろしくて仕方がないんだよ。

最初から何もなければ、もしくはすべてを失ってしまえば、何も怖いものはない。失うべきものが其処には何もないから。
大切にしているものが其処に存在する限り、安心と同時に不安は纏わりついてくるんだ。手離してしまわないように必死に引き寄せながら。其処に存在する限り、安心と不安の中に苛まれていく。