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コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

チンプンカンプン

違う違う、本当はもっと違うんだって、否定して生きてる。肯定なんて出来やしなさいサ。じゃあ、何が本当で何が嘘なのか右も左も分からないのにふらふらおぼつかない足取りで、それでも前に進まなくちゃいけないんだよね。知ってるよ。

毎日泣いてる。悲しいことなんてないサ。日々は美しいよ。心身共に健康サ。理不尽な怒りを押し付けられても、苦しみを嘆くことさえ許されない世界だとしても、日々は美しく輝いているし、あの子は笑ってるよ。

踏切で電車が通り過ぎるのを待ってる親子がいるよ。思春期に到達しようとしている、少し背伸びした少女の臭い。造り出された流行を何の疑問も抱かずして同調行動に励むことによって自分の時間と場所を保持する姿。マジョリティであろうとする少女。歳は13〜15といったとこだろうナ。少女特有の、小枝のような肉を感じさせない細い脚。チグハグなお洒落ファッションニスタ。少しだらしなく弛むハートの模様が入ったニーハイソックス。母親はそんなことつゆ知らず、突き刺す寒さに晒された我が子の身体を、弛ませたニーハイソックスを、たくしあげるように指示する。見て見ぬ振りをするように目の前をまっすぐ見つめながら、知らんぷり出来ない親への情と、ニーハイソックスの弛みをたくし上げて、また戻す。ハート模様はぐにゃぐにゃだ。

目の前を自転車が通る。老いた体でおぼつかない足取りでペダルを踏み込む。すれ違いざまに、男の自転車の車輪と絡み合う。「あ」思わず声が漏れれば、男からは冷たい罵声が測れる。「あ じゃねぇよ!ふざけるな!」頭から脳から口から肉声で、整体を使って言葉がぶつけられる。彼はきっと思ったことをすべて口に出してしまう病気なんだ。望月峯太郎の描く東京怪童に登場する『ハシ』そのモノのように。
異端であることに対する葛藤を描いた(安直)ようなものに例えられる作品であるけれど、実は世の中に蠢いてる。社会そのモノをだったんだナ。よくわからない人は東京怪童を読んでくれよ。

自慢の長い舌を貫通させている銀色に輝くピアスは優しいよ。自信満々なんだ。口の中にあるこの違和感が気持ちいいよっていうセリフさえ取って付けられたような、飾られた言葉で照れ臭いナ。自分が特別であることになんの意味がある?(自分が特別であることへの多幸感)自己満足ってナニ?
すべてのことに対して意味を求めることこそ、それが真意であるのか?最終的に答えなんてどこにも行き着かなくて、答えはひとつじゃないよっていう大衆音楽の台詞みたいに。受け売りだし、他人の言葉っていいように自分のものになるよね。
誰かが作り出した世界を吸収して吸い込んで形成されてるって、それってようは、大勢の人間に抱き抱えられながら、生きてるような感覚なんだ。


誰かが、あの子が、あの人が、私を見て、嘲笑って、呆れて、またあの子はって笑うの?
中身なんてないよね。怖いよね。甘くて美味しいものしか食べたくない。柔らかくて口の中で溶けてくものしか食べたくない。自己満足は甘くて美味しい。