コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

サイドポケットには、大きな水筒

朝は10時に起きて、燦々と日を浴びた洗濯物を取り込んだ。珈琲を淹れて、昨晩コンビニで買ってきた「もちもちの鯛焼き」を彼に出す。2人でのんびり珈琲を飲みながら、引越しの計画を立てる。

 

家電購入の予定がずれ込んだので、1ヶ月以上も放置されたジェルネイルをオフする。彼はずっとYouTubeでラップバトルを見てばかりだ。「ラッパーになるわけじゃないのにね 笑」って笑ってた。

 

16時半に、不動産屋で新しい部屋の契約をしに行かなければならない。彼は青と黄色の艶やかなヴィンテージのダウンを着る。私は300円のニットに彼からもらったヴィンテージの軍パンを履く。ベイカーパンツと軍パンの違いについては、いまだにわからない。

 

家を出ると、少し風が冷たい。でもユニクロの大感謝際で買ったフリースで乗り越えられる。軍パンの下には伝染したメディキュットのタイツも履いてるからね。爪だって綺麗にオフして短く切り揃えた。

 

不動産屋で長々と話を聞いて、たくさんの書類に署名した。新しい部屋の鍵を貰えるのは1月31日。仕事の関係で、実際に手に入れられるのは2月2日まで伸びてしまうけど。

その後、立川で見つけた古着屋さんに連れて行ってくれた。最近気になってるのは、かーハートかな。レッドキャップのパンツも悪くなかった。

battlelakeのリュックを見つけて、ずっと眺めていたら、「欲しいなら買ってあげようか?」って彼が言うから。お言葉に甘えてプレゼントしてもらった。大きくて青くて、そこが茶色。生地がしっかりしてるし、サイドポケットには、大きな水筒も入る。かっこいい青だ。

 

本当は夕飯の支度をするために、ピーマンを刻んで冷蔵庫にしまってた。でも、なんとなく一蘭が目の前にあったから入店する。とんこつラーメンだけど、一蘭は美味しいと思うし、替え玉を半玉分お願いしてもらった。ご馳走様した後は、胃が重たくなる。

 

帰りの駅で、大好きなスコーンを2個ずつ買う。帰宅すれば一通りの家事を済ませ、紅茶を入れてスコーンを食べる。引っ越したらもう食べる機会もなくなる、この味だ。

 

ホッと一息、ホットコーヒーなど、鎮座さんとチプルソの曲のようにchillを挟んでから、お風呂をためてゆっくりいま。

 

1週間分の作り置き弁当も作った。和生さんに持たせるおにぎりの下準備も完璧だね。やっと2019年の重たい腰が動き始めたかもしれない。明日も軍パンを履いて、彼に買ってもらったリュックで仕事に行く。頑張るぞ

社会の捨て駒

こんな時間にゆっくりできるのは、いつぶりだろう。急に時間ができると何をしていいか、わからなくなっちゃうな。

 

今日は天気がいいので洗濯物をドカドカ片付ける。掛け布団も干して、シーツとカバーもすべて洗浄。燦々と日差しを浴びた洗濯物たちが風に揺られて気持ち良さそう。わたしも一緒に吊るされたいな。

首の後ろにハンガーで吊るされているように、人生は無責任じゃいられない。常になにかを考えて、行動し、マグロのように生きる。

 

昨夜、家に帰ると部屋がピカピカになっていた。疲れて帰っていた体を振り絞って、彼が自宅の掃除を済ませていてくれたんだ。漂白の匂いが漂うへの中、セブンイレブンで買ってきたシュークリームを頬張って、引っ越しの予定など話したり…。

 

だらら今日は少し余裕もある。掃除はしなくていいよって言ってくれたけど、やっぱり自分が納得いくまで仕上げたいんだよね。たった1日でも、部屋の隅には抜け落ちた髪の毛が散乱している。綺麗に拭き取って、床に敷いてあるラグもベランダに干す。ゴミを簡単にはたいて、ファブリーズを吹きかけたら床に戻す。

 

朝入れた珈琲は冷めて、冷たくなってる。ホットだったのに、冷えた部屋でアイスになってしまった。

 

最近は、目的のない文章、目的のある文章、なんでもいいからパソコンに向き合って言葉を撒き散らしたい。それらがきちんと報われなくても、特別なものにならなくても。自分への成長力が止まらなくて、立ち止まっていることを恐れている。多分わたしは下手くそでも、このままずっと文章を書き続けたい。

 

少しずつ仕事に対しても、意欲を取り戻してきた。どんなに退屈なタスクでも、だらだらと作業を進めないように心がけてる。手を抜かないように、その先にある目的を意識しながらこないしていく。思うように成果も出ないし、答えのない場所で利益を生み出すのは難しい。もしかしたら今の案件も、また手放す日がくるかもしれない。

この会社に2年近く勤めた中で、請け負ったサイトの数は数え切れないほど。時間をかけて作っていけばいくほど、ただのサイトなのに愛着も湧いてくる。でも利益が出なければ、すぐに捨てられてしまうんだ。「サイト停止」その言葉がわたしたちにとって一番恐れているものだよ。

どんなに小さなサイトでも、時間とお金、気持ちと労力をかけて運営してる。それらがいとも簡単にネットの世界から葬られてしまうのは、心ない。

とはいえ、私たちは金をもらっている。会社を回すためには、正しい取捨選択の繰り返しが必要なんだよね。後ろめたい気持ちを切り替えて、また新しいジャンルにチャレンジする心意気をいつだって万端にしておく必要があるんだからさ。

 

ここ最近は、社内にいるライタースキルに長けている男の子に、指導をしてもらっている。自分の文章チェックをしてもらうたびに、まだまだ至らない点が多いと感じるね。その子はまるで、読者すべてのニーズを捉えているかのように、納得のいく説明を用意して指導をしてくれる。マーケティングの「マ」の字だって知らない私は、関心するばかりだ。

文章を描くだけが仕事じゃない。読者のニーズや、マーケティングについてもしっかりと把握している必要がある。なんなら文章だって至らない点も多い。仕事をしていく中で、自分のやっていることが本当に正解なのか?疑問に感じて打ちひしがれる。

自分が良い!と思ったものが正解じゃないし、答えなんてどこにもない。ある意味では、数打てば当たる世界でもある。Googleの評価に怯えて、媚びを売ることの繰り返しじゃないか。サイトの質よいう言葉の焦点が当てられているのは、一体どこなんだろう?と疑問さえ感じる。

質の意味さえ、本当は知らないのかもれない。

それでもいまは少し時間を与えてもらっている。大半のことを任されているので、自分なりに指導を受けたことを無駄にせず、方針変更をくわえながら進んでる。いつだって自分が作り上げてきたスタイルは、簡単に壊さないといけない業界。そんなものは、目の上のたんこぶだ。新しいことに目を向けて、吸収スキル。変なプライドを持ってると、世の中にはじき出される。

好奇心旺盛で、ドライな人がこの業界に向いているんだろうな。じゃあ、私はどこで生きることが正しいのかな?与えられたタスクを消化することが正しい選択じゃない。だからこそ、もっといろんなスキルを磨きたい。

 

でも、やっぱり文章スキルを磨きたいと感じてしまう。気持ちは、その片一方に偏ってしまうね。バランスが悪いな。本当はもっと、デザインとかプログラミングとか、大事な骨組みを埋めていく必要があるのに。

自分のやりたいことは、今の会社にあるのか?と聞かれたら。やりたいことが何かさえもわからない。ただ昔のように漠然と「文章が書きたい」なんてことは、言ってられない。積み重ねてきた時間も無駄にしたくないから。もっと自分の意識や目的を詰めていく必要があるね。

もしかしたら転職だって視野に入れてるかもしれない。キャリアという言葉の重々しさも、いまになってずっしり感じる。このままじゃ、本当にいつまでも安月給の捨て駒なのかな?って悲観的なことばかり考えちゃう。

 

でもばっかりだけど、それでも私はいま積み重ねている時間を絶対に無駄だと思わない。第三者がなんて言おうと、自分の気持ちを一番信じてるから。だからいまやるべきタスクを紹介して、前に進むことだけを考えてる。

稚拙な文章

朝起きたら、タイツが伝線してた。メディキュットのタイツだから値段もそこそこするし、まだ購入して一ヶ月未満だから、なんとも言えない気持ちになる。再購入する余裕もないので、とりあえず伝線したエッチなタイツで乗り切るしかないんだろう。今日もこの寒い土地で

 

昨日は、やっと残り2件まで絞られた引っ越し先の内見に行ってきた。もう2件しか部屋がないというのが事実。この時期は競争も早くて、良いところはすぐに申込みが入ってしまう。その中で見つけた良物件を逃したら、家なき子だし笑えない。

 

やったのかと、彼と2人で内見に行けた。2週間ぶりの休みだからこそ、いつもよりずっと特別な時間になる。当たり前のようにベッドで横たわる彼も、いつぶりに見る景色かな?

限られた時間の中でしか、2人でのんびりすることはできない。休みのない仕事に追われ、彼の心が疲弊していくのも目に取れる。それでも「栞ちゃんのために働くんだ」って、頑張ってくれる。奮い立たせる感情に限界を感じながら、どうすれば嫌な気持ちを振り払って前に進むことができるのか?たくさん自問自答してるだろう。その答えに導いてあげられる言葉が見つからない。一番愛してる男を安心させてあげる言葉を持ち合わせてない。

 

もしかしたら、もしかしたら、これから先はどうなるかわからない。貧乏になって、また一段と苦労が押し寄せてくる未来だってある。今の状況は、確実な安定とは言えない。それでも一緒に苦労したいと願える貴方がそばにいるから、足を止めることはしないよ。

 

どんなに苦しいことがあっても、進み続けることができる安心毛布が側にあるから大丈夫。新年を迎えて、やっとそういう気持ちが湧いてきたかもしれないな。少しずつ、本来のエネルギーが回復してきているところなんだ。

 

だからもっと、先へ進みたい!という感情が小さな殻の中で窮屈そうに空を仰いでる。ここに立ち止まって満足できるほど、まだ力尽きていないから。

 

それは仕事の面で大きく感じる部分がある。誰でも、「できること・できないこと」があるでしょう。他人がそれを成し遂げても、自分自身の環境や力量では、難しく感じることも。

結婚や子育てといった女性特有の変化に、どう対応するか?そういう年齢になってきたんだ。今後の仕事をどうするのか?いろいろと見据えないといけない。

やってみないとわからない!で、飛び込めるほど若くない。でも、いつだって始めることは遅くないことをちゃんと知ってる。自分の考えだけで社会の駒を上手く進めることは出来ない。きっと多少の無理も必要になってくる。その負担を少しでも減らすために、今何が出来るのか?焦らずに考えを温めることは大事だと感じてるんだ。

 

いまの状態では、どうにも身動きが取りづらい。自分のスキル不足や、盲点・欠点ばかりが目についてしまう。ただマイナスばかりを並べても先には進めないでしょ?良いところを伸ばして、マイナス点を補えるようにする。これは人生においても大事なスキル。

 

私は「文章を書くことが好き」という生半可な気持ちでいまの業界飛び込んだ。実際に見える景色たちは、これまで自分のやってきたことをすべて淘汰されるもの。当たり前だよ?お金が回るということは、自由な作品ではなく、商業的な意図で動いてるんだから。

2年近く勤めたらこの会社で、さまざまなことを学んだ。小さな言葉の端々や、読者の離脱を回避する方法など。どんな文章が他人を引きつけるのか?以外にも、そのルールは単純だった。何も考えずに並べられた言葉って、他人が読んでみると難解な文章だったりする。流れに身を任せて書き上げられた文章の粗を知ったことにより、これまでの無知な己に身震いさえするんだよね。

 

正しいルールの中で構成された文章。それはあくまでも、ニーズという単語が明確になっている中で作り上げられる世界。アート的な観点では、きっと通用しない。

商業的な文章と、コラムやエッセイ、小説では、もちろんのこと大きな違いはある。ただ1ついえる共通点は、読者に文字の羅列が伝わるかどうか?

 

文章で物事を伝えるなんて、簡単でしょ?って思ってる人も多いよね。誰しもが作文だったり、いろんな機械で400文字以上の文章を書いたことがあるから。

実はそうじゃなかったね。言葉と文字を組み合わせて、情報や物事を伝えるのは難しい。サラサラと書き綴られた言葉は、脆い。

家を建てるのと同じように、骨組みを作って肉付けをしていく。そうやって少しずつ、丈夫で強いものが仕上がっていく。何も考えずに手当たり次第材料を並べても「文章」という目的は達成されていないんだ。なんて、知ったような口を聞いてるけど、私だってまだ未熟者だよ。

 

ただ少しずつ、これまで積み重ねてきたものが無駄にならないスキルを身に付けてる。これからも自分の中で譲れない強みを磨いていきたい。そのためにはどうするべきか?今年はじっくり考えていこう。そろそろ始まりそうだし、のらりくらりやっていこうよ。