コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

自殺というトレンドは、もう時代遅れ

メンヘラは無慈悲だ。

 

愛はあるけど情はない。そして人は、誰しも自分の幸福を一番に考えている生き物だ。

 

それ故、目の前に現れた目を霞ませる情報たちは、すべて排除していく。要約すると、鬱陶しいものは見て見ぬ振りしてやり過ごしてるってこと。

 

日々、死を意識している人・意識していた人って、他人の自殺祈祷をあっけらかんと眺めることができる。「死なないで」という感情さえ、殺してるんじゃない?

 

みんなは、どう考えてる?私は哀れみの目で、世界を見てるよ。

 

いま自分がこうして、着実な幸せを掴んでいるからこそ、感情が強く打ち付けられるね。

 

一瞥しながら「しょうもないな」って、鈴みたいな音を鳴らして笑ってるのかな?多分それってかなり正解かもね。

 

もう何十通りも語られてるであろう定説は、吐き散らかさない。人は常に新しい情報を求めてるから、使い古した小手先の技は通用しない。

 

だからもっと新しいことしないと、全然意味がない。「死ぬ」っていう行為も、ボロ雑巾みたい年季が入ってる。

 

リストカットだって、ODだって、全然新しくない。いつか風化して、何にもならないまま忘れ去られていく。

 

だからもっと新時代のニューウェーブに乗らないと、全然意味がないし、かっこよくない。

 

メンヘラのニューカルチャーを私は期待してるよ?

 

 

好きな人間

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いつも口の端に歯磨き粉のカスが付いてる。笑うと大きな前歯が主張して、寝てる時はウォンバットみたいな顔してる。怒った時も少しウォンバットに似てるね。

不器用なりに、真っ直ぐに生きてる。曲がったことが嫌いなのに不謹慎なことは大好きだよね。足掻きながらも、傷跡を残すために手探りで血まみれの指先で触れようとしてる。

その眼に映る確かな一瞬の景色を逃さないために、レンズを除く表情はすごく真剣で息を飲むようだ。心臓の脈打つ音が、五月蝿くて、こちらの鼓動まで震わせる。

くだらないことですぐ怒るよね。変なプライドが爆発した時は、まるで目隠しされたまま50メートル走を迷わず全力で駆け抜けているみたいにネジが外れるよね。

その優しさを振りかざしてたくさん傷ついてきたボロボロの心は、擦れた摩擦で一瞬の熱を持ってるよ。

 

やらしいっていうよりエッチって言葉が貴方には似合うと思うよ。

 

いろんな物事を120%の吸引力で引き寄せて咀嚼する力は、時に恨めしさを感じるよ。取り込んで離さないように、抱き締めてる。人や物を光の光線のやうに真っ直ぐ突き刺すのに、向こう側に突き抜けていく。

ご飯を食べる時は10回くらいしか噛まなくて、カチカチとはを嚙みあわせる音を奏でているね。死ぬ前は塩むすびとおにぎりが食べたいって言ってたな。淡白な味覚と胃袋は、ゴールだけをて目指して突っ込んでる。

その割に食べられない野菜を頑張って挑戦する姿は、小さい子供ではない証拠だね。

 

誰かを許すことを知っているあなたは、少しずつ誰かに許されていることも美味しく咀嚼できるよ。

どうか、その力強い呼吸と足取りで、たまにステップを踏みながら歩き続けて。たまには息をついて休みながら、大好きなラムネとマシュマロを食べよう。そしてご褒美にはトンカツをおなかいっぱい食べて、全速力ではなく、慎重に、穏やかに、確かに2人で足跡を残していこうよ。

 

貴方とワタシは一緒に苦労をするべき人間だ。これからも阿吽の呼吸で、たくさん傷つきながら這い蹲っていこうね。

 

たまに後ろを振り向いて、優しく手を振ることのできる人になろう。愛してるぜメーン

 

糞食らえバーカ

いろんな鬱憤が溜まってる朝だな。何がこんなにも納得いかなくて、どうしたら納得いくのかわからない。もしかすると、ただ怒りたいだけの気持ちが強いのかもしれない。そして「ごめんなさい」と心の底から懇願するような叫びが聞きたいだけなのかもしれない気がする。

 

25歳にもなって、人付き合いで上手く立ち回れないことが多い。こんなにも人に言いたい放題言葉を述べるのは久しぶりだな。今までだったら気持ちが萎縮して、あちらに非があっても謝り続けてどうにか気持ちを沈めることだけに意識を集中させていた。

 

でも、今はそうじゃない。間違ってること、納得のいかないこと、それらをきちんと述べられるものが目の前にある。互いの行き違った気持ちを擦りよせながら歩いていく努力をしていけるでしょう。

 

ただどこかで、なぜワタシだけこんなに大人の素振りをしなくてはならないのだろう?とも考えることがある。お互いが気持ちよくいるために相手を立てながら言葉を交わしても、上手く届かないことがある。その一瞬だけでこちらの小さい器が音を荒げて壊れていく気がする。どうして仲良くなろうと努力をした言葉に対して、打ち砕くような台詞で突き返してくるのだろうと疑問が頭をめぐる。

 

相手に対する言葉の配慮というものは、感情的になるとすっかり忘れてしまう。そこでヒートアップして、誰かが傷ついたり、傷つけられたり、許したり許されたりを繰り返す。ワタシはどれほど相手を許せる度量を用意しているだろうか?定かじゃないな。まだまだ子どもだよ。

 

だから一生懸命に紡ぎ出した言葉の羅列を無下にしないで欲しい。しかし、これ以上何かを述べても、いまは届かないことを知っている。いつまでたっても心の憤りに対して、文章を書くという手段でしか消化できない25歳も考えものだな。

 

あの時の怒鳴り声も、体良く用意された過去の出来事も、いまのワタシは許せないでいる。無理に許して優しい顔をするなら、許せる距離まで離れることも正しい選択だ。思った以上に自分がしょうもないことで根に持つタイプなんだって、笑っちゃうね。

 

人の欠点は時間をかけても治らないところは多くある。それはワタシに然り、誰かに盛り。それを許す手段として、好きになれる距離まで離れることも答えの一つでしょう。

 

もうこれ以上、しょうもないことが発端で起こった無駄な時間に気持ちを費やす必要はないよ。ワタシはそこまで馬鹿じゃないし、他にやることはたくさんある。

 

声を荒げることも、心が擦れることも、不満を抱くことも、不安になることも、ぜんぶ大っ嫌いだよ。糞食らえバーカ