コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

都合

セフレみたいになっちゃった男の子がいて、その子と二人で飲んでた夜にいつも通り朝まで一緒にいるのかな?って期待してたら「今日は帰るか~」って言い始めたのびっくりしてね。「どうして?」って思わず引き止めるようなことを聞いたら「僕から手を出したのが、そもそもの原因だけど、この関係性って早く終わる気がするし、だから体の関係がない日があってもいいんじゃないかと思う」なんて彼が言うから、心の中は健全な関係だけが正解じゃないよって唱えながら「わたしはもっと一緒に居たい」って言ってみると、いつも通り高円寺の自宅に吸い込まれてセックスしてキスして寝た。

 

ああ、また夏が始まった。蝉の声が聞こえるし、じんわりと日差しが毛穴の中まで染み込んで行くような気がする。

 

去年の夏と同じように、付き合ってもいない男の子とセックスして、キスして、それでも私たちは彼氏と彼女には絶対になれない。この先どうなるか分からないけど、もう何か保守的になったり、不健全だって現実を目の当たりにして逃げるほど若くない。私たちって、そんなに若くないんだよ。だからセックスしても、キスしても、またねって平気な顔でバイバイできる。好きがそこになくても、「都合」って名前で飾られた関係の中でお互いの時間が刻まれて行くじゃん。お互いが楽しくて気持ちよかったらそれでオッケーだよ。

いろんなところに爪痕残しておこう。そうした方が面白いから。

最後に「しんじゃやだよ」って言葉を聞かせて欲しいわたしのわがままに、誰か気づいて欲しい。わたしの人生の中ではあの子もあの人も、すごく大切だったのは事実だよ。

 

死にたくなってきちゃったから、少し甘えてしまうわたしを許して欲しい。死ぬなよって引きずり戻してよ。もう幸せになれなくていいから、落ちぶれるのは嫌だよ

 

わたしは元気です

死んだら悲しんで、生きてたらダサいねって笑って、うん

思い出

お酒と美味しいご飯でお腹いっぱいになりながら、たくさん笑って終電を迎える総武線に揺られて家路に着く。

なんとなく寂しくて、でも友達や恋人はみんな夢の中だから、知らない人にコールしてみるけど埋まらない穴は大きく膨らみすぎたので、カスカスの声で何かを訴えかけながらこの時間の重みさえ全て脱ぎ捨てる。これが真実なのかさえ区別がつかないくらいにアルコールが体の中に浸透しているみたいだな。やっべ

 

日を増すことに、少しずつ朝日が昇る時間が早くなる。4時にもなれば空はすぐに薄くなりはじめて1日の始まりを告げるよね。7月という夏に一歩だけ足を踏み入れたこの季節はうまく歩けないことも増えてくるんだよ。うだるような暑さに耐えかねて、引きずるように歩き続けてる。体も頭も重くて嫌になっちゃうね。わはは

 

haruka nakamuraの「ベランダにて」を聴きながら、7月の朝を迎えようとしてる。今年も暑い夏がやってきたよ。大丈夫かって自分を気にかけてる。

 

繊細なピアノの音色は耳に焼き付いた記憶を少しずつこじ開けていくし、こんなポエミーなことだって恥ずかしげもなく出てきてしまう。

何もかもが悲しかった夏に、友達の奏でるピアノの音を聴きながら、淡々と順序立てて登って行く太陽を睨みつけてた。そのとき耳にしたメロディーは繊細で悲しくて、いろんな言葉や感情が滝のように流れてきたよ。

 

ふと昔のことを思い出すなんてよくあることだけど、今日は昔話をしよう。だって7月一日の始まりだもの。

初めて男を愛したのは当時15歳の時に、覚えたてのオナニーをフル活用するために利用してた出会い系サイトだった。そのサイトを利用する多くの人間は性欲で全ての物事をまかり通そうとする人間ばかりだったし、きっと私自身もその一人だった。いつしか、えっちな目的と同時に「普通におしゃべりする」相手が欲しくなって、そこで現れたのが彼だった。

多分一番初めに話した時は、わたしが急性胃腸炎で、悶えるような苦しみを味わいながら7時間近く電話をしていた覚えがある。少しチャラい感じの口調で、それでも親みを持った彼の人格に惹かれて毎日のように電話をしたね。

ある日彼が、横浜で行われる「ゴス展」という展示会に行くと言い出した。彼は埼玉に住んでいて、わたしは神奈川に住んでいたから、いい機会だし会おうなんて話になったんだよ。お互いにインターネット上でしか存在を知らないから、嫌われるのが怖くてテレビに出てるブサイクなお笑い芸人で容姿を例えて保険かけてたよね。

初めて会うその日に、わたしは何を着て行くか迷った挙句、休日にかかわらずなぜか中学校の制服を着てキティちゃんのマスクをつけて行った。彼はカフェで秋冬のコレクションに関するファッション誌を不機嫌な顔で読んでたのは今でも鮮明に覚えてる。最初に出会った彼のインパクトは強烈だったな。長くて綺麗な髪の毛に、尖った靴先は反り返っていて、ウォレットチェーンは燻し加工をしてある薔薇のモチーフだった。したり顔をうベルその姿は、当時15歳の私の中で完全に魔界から降りてきた悪魔か何かだった。

カフェで落ち合って、パスタを注文したけど緊張してうまくたべれなかったし、ゴス展までの会場は風邪が強くて今と変わらず前髪の位置をずっと気にしてた。

会場に着くとそこにはGothicの歴史や文化、現代日本で親しまれているゴスロリという文化の表現が多く展示されていた。当時では珍しかったスプリットタンも初めて写真で見たときは息を飲んだよ。あるブースの中では真っ暗な部屋に映し出された大きなディスプレイに皺が刻まれた老人がひたすら点滴で血を抜いている映像作品だった。何も知らない私にとっては全てが瑞々しいと同時に、正直訳のわからない世界でしかなかった。展示ブースを順を追って歩いて行くうちにクライマックスへと近づいて行った。そこには何も知らない私の心を打つ衝撃的な世界が広がっていたんだ。

性転換手術をした自分の正規を惜しげも無く美術作品として表現するアーティスト。その人の名前はピュ〜ぴるって言うの。

多分15年行きてて初めて、人をあんな風に美しいと感じたことはなかったし、今でも彼の与える作品の中で表現されたその四肢や陰部の造形を超える、全ての雰囲気を含めて超えるものはない。とても衝撃的で、すごくドキドキした。ピュ〜ぷるは性同一性障害で、性転換手術を行いながら女性の体へと生まれ変わって行く自分の肉体そのものを自分の感性で表現し続けていた。ゴス展の最後には、彼(いや彼女だね)が作った大きなドレスのオブジェが飾られていて、狭い視野の中でものを見ていた私に、この世の美しさの全てを教えてくれたような気がした。

 

それから7年後、彼と別れてから別の男性と付き合い始め、暮らしを共にするようになった。お金もないまま飛び出してきたから、ご飯を食べるのさえ十分にできない。当時の彼氏に頼ることもできずに援助交際に手を出したんだ。きっと今でいうパパ活なのかな。そこで出会った男性はとても紳士的ないいおじさんで社会で生きる時に必要となる思案や、美味しいもの、魅力的なカルチャーをたくさん教えてくれた。

ある日おじさんは自分の会社で携わったドキュメンタリー映画のDVDをくれたんだ。それが、まさにあの時心を打たれたピュ〜ぴるそのもで、びっくりしたよ。しばらくはパッケージを開封することもできなくて、作品を見た感想を伝えることなくおじさんとはフェードアウトしていったね。

しばらくして一人暮らしをはじめたとき、休日の穏やかな昼間にソフマップで買った中古のパソコンを起動してピュ〜ぴるのドキュメンタリーを読み込んだ。淡々と始まる、まだ彼が男だったころから女性へと変貌し、作品と自分の心とを向き合わせて、ボロボロになりながら進むしかない答えを追い求める姿がそこにはあったよ。8年越しに見た彼の姿は、あの頃と変わらない瑞々しさと、なにかを奮い立たせる魅力があった。いまでもずっとあのドキュメンタリー映画は特別な作品として私の中に刻まれているんだろうな。

 

そろそろ空も明るくなってきたから、寝るね。おやすみ