コインランドリー

ありふれたような、日常の流れです。

あーあ。なんか無性にいろんなことが気持ち悪くなってしまう。誰かとキスをしたりセックスしたりすることが無性に怖い。仕事から帰る一人の夜道で怖くて少し蹲って、一呼吸置いてからまた歩き出す。

 

今日は彼に会うために、久しぶりにきちんとお化粧をしてコンタクトをした。服装もいつも通りの汚れたデニムとスウェットではなくて、タートルネックのワンピースを着て。彼と会うために気持ちをしゃんとさせて。

すると、職場の人が休憩の時に「やけに大人っぽいですね今日!いつもと雰囲気が違う!」と言ってくれて。もう一人の人には「二度見しました思わず」って言われるくらいに、装い一つで人の印象は変わるみたいで。いつもどれだけだらしない格好をしているのかな〜とヘラヘラ笑うしかなかった。

「彼に会うために気合い入れてきたんです」というと「一緒に暮らしてたのに、泊まりに行くだけで服装変える意識素敵ですね。好きなんですね、彼のこと」と同期の人にホヤホヤされてホヤホヤなった。素敵だなって言われるのは素直に嬉しいすごく照れる。

きちんと口紅を引いて、睫毛をあげてマスカラをたっぷり塗り。薄くアイラインを引いて。仕事が終わる頃にはクタクタで、花粉にやれた為にヨレヨレになった化粧が悲しい。彼の帰りは遅いけど、あまり眠れて居ないけど、今日は頑張って帰りを待とう。

 

 

昨日は全然眠れなかった。朝も起きれず寝坊をして、意識がたるんでる。でも今日のお弁当のおかずは唐揚げだったからお昼ご飯までの時間が待ち遠しかったな。

 

 

 

きっと誰も知らないけど、日々どこかで我慢したり。誰にも気づかれないように誰かのためを思ったりしてる気持ちが届いた時は、少し報われた気にならね。日々辛いこともあって、わたしはこんな風に人間関係を築くことが幸せなのかな?と思うこともあるけど。人それぞれ、ハマる形がそこにあるから。誰かの言葉じゃなくて、自分の正しさを振りかざしてみてもいいのかな?と思ったよ。報われたよ。ありがとう

きょう

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今日はあれが面白くて、あんなことが腹立ったし、やっぱりあの子はあんまり好きじゃないんだよねー!って話は誰にしたらいいんだろう。全然一人じゃないのに誰も好きになれないからうまく人と話せない。

 

休憩中に同期の人と笑っても、私どこで笑ってるのかな?って考えることが増えた。みんなよく笑う人だし、すごくいい人ばかりだから大好きなのに。心の何処かで馬鹿にしてる節があるからそういう癖はなかなか治らない。

 

久しぶりに友達に会ってもみんな、結婚とか妊娠とか、金とか男の話ばっかりで全然楽しくない。本当は最近の美味しいものの話とか、いい匂いがするオススメの場所とか、そういうたわいもない話がしたいのに。みんな男と金に忙しくて疲れちゃう。それでも彼女たちのことが大好きだから仲良くしてるはずなのに。心の中ではいつも「馬鹿じゃねーの」って悪態ついてるんだよね。

 

ホストに狂って騙されて風俗に落ちた話も、彼氏と子供作って結婚する話も、死にたい話も、彼女に振られた話も、今の私には何も面白くなくて。

職場でピクルスを漬けてる話とか、八丁味噌の話をしてる方が楽しいなって思う。でも、どこかみんな遠いから、金と男とセックスと死にたい話に耳を傾けて仲良しごっこしてるのかな。

 

 

今日はお母さんに作ってもらったお弁当を持って職場に行ったら「〇〇さん今日お弁当だ!!お???」って手作りじゃん!みたいな雰囲気でもてはやされたけど、「ママンが作りました」って言ったら「親かよ」って呆れた顔された。一人暮らし始めたら手作り弁当見せつけてやるからな!ってメラメラしたんだ。

 

そうだな。仕事で新しいことに挑戦しよう!という小さな試みで、先輩と30分くらい話し合って試してみたチャレンジの成果が少しだけ出たのが嬉しかった。色々と試行錯誤しながら、失敗と成功を繰り返して利益を出していく作業がとても面白い。地味な仕事だけど、目に見えて結果が現れるからやりがいを感じる。

 

 

お母さんが作ってくれたお弁当は美味しい、引っ越しのことを考えながら頑張ろうという気持ちと、仕事が楽しいと、

色々とヤキモキすることは沢山あるけど、それでもちゃんと前に進んでるから知っていて欲しいな。

 

 ああ、そうだな。

そうそう。やっぱり人付き合いが苦手だなって話で思い出した。みんな優しいよねって。優しいっていうか、思いやりという気持ちの割り振りがうまいなって思う。誰かの為に、自分が気持ちよくなる為に誰かのことを思える人って素敵だな。誰かが喜ぶことで、自分が気持ちよくなれる人ってすごいな。

 

私は短期で機転が良い方ではないから、人の相談事を聞いても結局最終的には「あなた次第だし、答えを出すのは自分でしょ?」って投げちゃうのに、みんな誰かの為に真剣に自分の意見をぶつけていてかっこいい。そこまで他人の人生に真剣になれるのは尊敬しちゃうよ。

みんな、ちゃんと私の話を聞いてくれるし、真剣に向き合って、時には一緒に怒ったり泣いたり笑ったりしてくれるのに。私はそういう美味しいところだけすくい取ってばかりで、いざ自分がその立場になると面倒くさいよ〜ってほっぽり投げちゃうんだ。自分が可愛くて仕方がないから、誰かのことなんて考える余裕もない。一人の人のことしか考えられない。頭のキャパシティがバグってるのかな。

誰かを思えば誰かのことが疎かになる。

どうしてみんな、誰かに対する思いやりの割り振りを、そんなにうまくバランスよくやりこなせるんだろう。全部が100じゃなくていいから、誰か一人に負けてる100を複数の人に割振れたらいいのに。そういうのって、難しいね。

 

新生活

約一年間お世話になった、彼と暮らした家を出て実家に帰ってきた。「寂しい」なんて言ってられるくらいの余裕があるうちはきっと大丈夫だろう。

私は割と弱い一面が多く、取り戻すことのできない小さな物一つ一つに気持ちを寄せて生きている。そこまで器用に切り替えができないので些細な刺激で涙を流してばかりである。

 

 

久しぶりに鎌倉へと帰ってみると、去年の夏なかった300円のサボテンが大きく育っていた。家を出たあの日から、母親が毎日水を与えていてくれたみたいだ。名前をつけて可愛がっていたはずなのに、いつの間にかその名前さえも忘れてしまったので薄情なものだ。

 

急に環境が変わると鼻の調子が悪くなる。二月も終わりに差し掛かる季節、もうすぐ花粉の季節なのかもしれない。外の空気は冷たいけれど、天気がいいので空気の入れ替えをするために網戸にする。

部屋の片付けをして、引っ越すときに必要な最低限の荷物をまとめてしまう。

一年半ぶりの一人暮らしは、まだ心がうまく準備できていない。前回はやむ終えずに退去することになってしまったあの頃。

今回の一人暮らしはうまくいくだろうか?仕事も生活も、いつだって当たり前のように長続きはしない。心を一定のリズムで刻むことができないので何度も失敗を繰り返し、恐れている。今回は、不思議とあまり気負いせずに挑むことが出来そうだ。2年前の私と、今の私とでは立っている場所も、バイタリティもモチベーションもはるかに質が変わっている(と思いたい)

 

長らく恋人と暮らす生活が当たり前だった毎日。疲れて帰ってきて、「おかえり」と「ただいま」という言葉を掛け合う日々。1日の終わりには温め合うように、互いの冷えた体をくっ付けて眠る。きっとこれからは、そんな当たり前が「特別」に変わるのだろう。1人で暮らすという気楽さと共に失われる人の温もり。

忙しい私生活の中で、どれほど彼との時間を過ごせるだろうか。互いの家に遊びに行ったり、泊まりに行ったら、仕事帰りにお茶をしたりなんて話をして「楽しみだね」と彼はにこにこしていた。私もとても楽しみだよ!と心の方向を同じ向きに正そうとする。それでも、どこかで寂しいという気持ちは拭えない。

 

暫くの間は鎌倉から東京の職場へ通うことになるだろう。去年の夏に、古着屋で勤務していた時のように。朝が起きれるだろうか?会社の飲み会に参加した時家に帰れるだろうか?と不安は募る一方で。ただ一つ楽しみなことは、母親がおベントを作ってくれることだ。

バスに乗り、電車に乗って片道2時間近くの小旅行を二週間近く繰り返す。疲れて帰ってきたらきっと、夕飯も食べずに布団に潜り込んで次の日はと備えるんだろうな。

 

 

引っ越しは3月の3日と4日に行われる。ここに決めた!という部屋の内見をまだしていないので、実際に部屋を見に行きたい気持ちが焦るばかりだ。

東京の外れの方に、1人でひっそりと生きる。これからもっと人生が豊かになって、新生活も折れることなく歩き続けたいな。